第12週 金曜日 芸術家 陶芸家 神山清子
12人目の芸術家は陶芸家の神山清子さんです。
神山 清子(こうやま きよこ)さんは、1936年8月2日に長崎県佐世保市に生まれられました。
終戦後に滋賀県蒲生郡日野町に移住し、小学3年時に信楽に転居されます。
小学生時代から絵を描くことが好きで、和洋裁学校を卒業後に陶器の絵付け助手を始められます。
1954年、陶器製造会社に「絵付け工」として就職されます。
27歳で独立し作陶を始められます。
30歳の頃、知人に勧められ公募展に出品すると入選し、当時まだ珍しかった女性陶芸家として、神山の名は全国に知れ渡ることになりました。
神山が作陶を始めたころは女性が窯場に入ると「穢れる」と言われ、窯焚きをする女性はいなかったが、神山の存在は後進の女性陶芸家に勇気を与えたそうです。
30代半ばの時に自宅付近にあった古代の窯跡で青に深い緑色が溶け込んだ「自然釉」の古信楽を発見したことをきっかけに、「こんな色の焼き物を作りたい」としてその再現に没頭されます。
自宅兼工房の敷地内に古代穴窯と同様の穴窯「寸越窯(ずんごえがま)」を築いて作品作りに挑むものの穴窯が何度も崩れるなど試行錯誤を繰り返し、借金を重ねつつ作陶を続けて、挑戦開始から3年を経て途絶えていた古信楽の再現に成功し、自然釉薬を使った陶芸の第一人者となられました。
私生活では結婚、離婚を経て2人の子どもを育てられます。
長男で同じく陶芸家を志した神山賢一氏が29歳で慢性骨髄性白血病を発症すると、清子さんははドナー探しに奔走し、賢一は骨髄移植によって一時は快方に向かったが、2年後に死去されました。
この経験から骨髄バンクの必要性を訴える活動を始め、現在は「滋賀骨髄献血の和を広げる会」の代表を務めておられます。
2002年9月、清子さんと賢一氏の闘病生活を描いた本『母さん子守歌うたって―寸越窯・いのちの記録』が出版されました。
2005年1月22日には、この本を原作とした田中裕子主演の映画『火火』(高橋伴明監督)が公開されました。
2019年9月25日、神山の半生を綴った伝記的小説『緋色のマドンナ 陶芸家・神山清子物語』が出版されました。
2019年9月30日から2020年3月28日まで、清子さんの半生を参考にして作られるNHK連続テレビ小説『スカーレット』が放送されました。
神山清子さんはヒロイン「川原喜美子」のモデルではないが、神山を深く取材し、神山の子育てをしながら作陶する姿を大きく参考にしているそうです。
劇中では喜美子の陶芸作品として神山から借りた作品が用いられたそうです。
めぐめぐがすごいと思う神山清子さんのこと
1女性禁制だった陶芸の世界で、一人作品を作り続けられ、自然釉薬を使った陶芸の第一人者となられたこと。
2お子さんのためにすべてをかけて闘病され骨髄バンクの必要性を訴える活動を始め、現在は「滋賀骨髄献血の和を広げる会」の代表を務めておられます。
3そして現在も陶芸家と骨髄バンクのために活動されていること。
母であり芸術家として生きておられる本当に強い方だと思いました。
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