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第21週 土曜日 メディアで活躍する女性 川島なお美

21人目のメディアで活躍する女性は女優、タレント、歌手の川島なお美さんです。


川島 なお美(かわしま なおみ)さんは1960年11月10日愛知県守山市(現・名古屋市守山区)に二人姉妹の長女としてお生まれになりました。お父さんは岐阜県美濃市出身の元簡易裁判所判事です。

また妹さんのほかに腹違いの14歳年上のお姉さんがいたそうですが生後すぐに生き別れ、2006年に46年ぶりの再会をされたそうです。




愛知県立中村高等学校を卒業され上京。青山学院大学文学部第二英米文学科に入学されます。

大学在学中の1979年  歌手デビューによって芸能界にデビューされ、女子大生タレントの先駆けとなられます。

学生時代は剣道部に所属され有段者であったそうです。

また大学生時代に試験でカンニングをしたことがあり、この際の「開き直り」的発言が一部で物議を醸したそうです。

川島なお美さんは文化放送が『セイ!ヤング』の後番組として、1981年10月からスタートさせた『ミスDJリクエストパレード』の火曜日担当パーソナリティに抜擢され、深夜の顔となられます。

当時は大学在学中であり、女子大生DJと呼ばれました。

1982年、中京テレビ制作(日本テレビ系)『お笑いマンガ道場』の三代目女性レギュラーとなられ、プロ顔負けの漫画のうまさと、芸人顔負けのネタの巧みさを披露し、同世代からの知名度と人気を獲得されました。


1989年8月8日、9月から明治座で『水戸黄門』の舞台公演でのフィルム撮影の為現場に向かう途中に、ロケバスが崖から転落する事故に遭われ、第七頸椎を骨折する大怪我を負われました。顔は無傷だったことをすぐに確認したそうです。この時はそのまま復帰することはなく降板に至られました。


川島 なお美さんはキャンパス・クィーンのイメージがいつまでも抜けず、出演番組は限られるなど不遇な時代が長く続きました。


1993年、30代にしてヘアヌード写真集『WOMAN』を発表されます。

1997年『失楽園(TVドラマ版)』への出演(特に失楽園はTVドラマでもヌードを辞さない主演で話題となった)をきっかけに、やっと女優として知られるようになられました。この時第14回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 ベストドレッサー賞を受賞されています。

こうして有名女優のヘアヌード発表が相次いだ1990年代において宮崎萬純らとともに日本におけるセックスシンボルの代表格のように認知されたそうです。

この方向転換は、判事だったお父さんの立場を考慮し、父が退官するのを待ってから行ったそうです。


1998年、日本テレビ主演連続ドラマ『くれなゐ』に主演されます。

第一回放映を終えた翌日の4月14日、ドラマの撮影が休みであったため、当時通学していたソムリエスクールに向かう途中、エスカレーター最上段で足を滑らせて正座するような姿勢で落下されます。

川島なお美さんはこの際ギザギザのステップに当たった左足の脛を裂傷し、20針も縫う怪我を負ったそうです

雨天で右手にワインとテキストを持ち、左手に傘を持って両手が塞がっていたことに加え、ヒールの高いサンダルを履いていたため、足元が滑った際にバランスを保つことが出来なかったからだそうです。

その際、ワインの瓶が割れなかったことを取り上げられ「ワインをかばって転倒」と一部で報じられたそうですが、実際はそのようなことも考える間もなく、咄嗟に身を丸めた際に持っていたワインを抱きかかえる形になっただけであると後に語られています。

1999年 日本ソムリエ協会ワインエキスパート資格取得されます。

2000年代に入ると川島なお美さんは「淑やかな女優」を看板にした戦略に方向転換して露出を前提とした女優活動は減少していきました。


2001年 日本ソムリエ協会名誉ソムリエワインの騎士称号を授与されます。
2002年 パラオ共和国 親善大使になられます。
-またフランスワイン三大産地(シャンパーニュ・ボルドー・ブルゴーニュ)より騎士号を叙任されます。



2005年 - サンテミリオン・ジェラード騎士号、コマンドール騎士号を叙任

川島なお美さんさんはフランスの四大ワイン産地から騎士号を授与されている唯一のアーティストでもあるそうです。

そしてワインの知識を持って教養番組などでも活躍されました。


「私のからだはワインでできている。」という名言を残しておられます。



2007年10月、パティシエ鎧塚俊彦氏と婚約したことを発表されます。


2009年2月1日、入籍。結婚後はおしどり夫婦として夫妻でテレビ出演をする事も多かった。


フィギュアスケーターの荒川静香さんとは、ドラマ7人の女弁護士で共演しともに愛犬家でもあったことから親しい友人でした。

2006年末に川島さんの自宅にて荒川静香さんの誕生パーティを開催した際、鎧塚俊彦氏にケーキを依頼したことをきっかけに交際が始まり結婚に至ったため、川島さん自身は荒川さんをキューピットと呼んでいたそうです。

2013年8月に健康診断で腫瘍が見つかり、即手術を勧められるも拒否され。代替策としての抗がん剤治療も拒否されました

腫瘍は肝内胆管癌であることが判明し、「この人になら命を預けられる」と思える医師との出会いを果たして、翌年1月末に手術を受けられました。川島さんの望みどおり、全て腹腔鏡下で行われた手術は12時間にも及んだそうです。

術後の5年生存率が40〜50%であると言われるなか、術後補助化学療法等は行わず、予後の健康維持の管理にビタミンCの点滴、民間療法、悪い気の排除などの施術(エビデンス不明)に取り組まれ、各媒体に復帰した。

こうしてワイン断ちをされ、水に興味を持ち、2014年3月からミネラルウォーター専門スクール アクアデミアに通学されます。5月には一般社団法人アクアミネラーレ協会認定 アクアアドバイザーとして認定されているそうです。

川島さんはブログで「完治した」と述べるも、2014年7月に再発が判明、夫に対しては余命1年未満の宣告がなされた。

川島は余命を知らされない状態で抗がん剤治療拒否を決断されます。

以降も代替医療に励みながら芸能活動を続けられました。

2014年にはネイルクイーン2014 協会特別賞を受賞されています。


2015年9月17日、出演中のミュージカル『パルレ〜洗濯〜』を、体調不良を理由に途中降板されます。

9月20日、11月から12月に出演が予定されていたミュージカル『クリスマス・キャロル』(劇団スイセイ・ミュージカル)についても降板が決まりました。

2015年9月23日には自宅療養中であることが公表され、同年11月5日開催予定のソロライブでの復帰を目指しておられました。しかし翌24日19時55分、胆管癌のため永眠されました。

54歳だったそうです。

葬儀は青山葬儀所にて浄土宗式で執り行われ、夫・鎧塚氏が喪主を、徳光和夫氏が司会をそれぞれ務め、生前所属していた太田プロダクションの代表取締役社長・磯野太氏、林真理子さん、倍賞千恵子さんが弔辞を読み、片岡鶴太郎氏が弔電を寄せたそうです。

また出棺の際は約7分間の拍手で送られました。

戒名は「秋想院彩優美俊大姉(しゅうそういんさいゆうみしゅんだいし)」で、川島さんと鎧塚氏の名前から一文字取っているそうです。

2016年6月10日、東京・麻布の賢崇寺に夫・鎧塚氏によってデザインされた墓が建立され、納骨されたそうです。

墓には生年のワイン「ロマネ・コンティ」や女優帽が象られ、下には「YOROIZUKA」の文字やダックスフントの絵が彫られているそうです。


めぐめぐがすごいと思う川島なお美さんのこと

1大学生でデビューされて大学生タレントという新しいジャンルを

作られたこと。

2その後長い間売れない時代を経験され、その間に好きなワイン勉強をされて、その後の新しいキャリア生かされたこと。

3病気になられた後も、自分らしさを貫かれ、最後まで新しいことにチャレンジし続けておられたこと。



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