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第26週 芸術家 市橋とし子



はじめに


26週目の芸術家は人形作家の市橋とし子さんです。

子ども時代

市橋とし子さんは1907(明治40)年8月21日東京都千代田区神田に登志(とし)

さんとしてお生まれになりました。

1925(大正14)年、東京女子高等師範学校保育実習科を卒業されます。

1938(昭和13)年に横浜へ転居されます。

今村繁子さんとの出会い

40年登志さんは近所の洋装店で見た人形作家今村繁子さんの人形に感動されます。

登志さんはすぐさま今村さんの家を訪問して弟子となり人形制作を学ばれます。

戦中から終戦直後にかけては制作をやめていたが、49年、偶然路上で今村さんに再会されます。

人形作家として


今村さんの強いすすめで登志さんは自身の作品を第1回現代人形美術展で「午下がり」を出品されます。

その「午下がり」が特選第一席を受賞されます。

翌年の同展でも「おしくらまんじゅう」が特選第一席を受賞されます。

登志さんは桐塑(桐のおが屑と生麩糊をこねたもの)技法により、身近な生活に取材した人物の姿を繊細かつ詩情豊かに表現する清麗な作風を確立されました。

54年からは登志さんは全日本女流美術展にも出品されます。

このころ、より人肌に近い質感を求めて、仕上げに和紙を用いた紙張りの手法を取り入れるようになられます。

61年、登志さんは第8回日本伝統工芸展に出品、以後同展に出品を続け、日本工芸会人形部長および理事を務められます。

65年からは彫刻家金子篤司氏に師事して彫刻デッサンや木彫を学び、人形制作に的確な構成力に磨きをかけられます。

85年、勲四等瑞宝章を受章されます。

人間国宝に

1989(平成1)年、重要無形文化財「桐塑人形」保持者(人間国宝)に指定されます。

90年、横浜文化賞を受賞されます。

94年、銀座の和光にて個展を開催されます。

98年から翌年にかけて新宿伊勢丹美術館などを巡回した回顧展「市橋とし子人形展-人形はだませない-」が開催された。

2000年10月26日 93歳で亡くなられます。

以上の記事は「市橋とし子」『日本美術年鑑』平成13年版(240頁)を参照して執筆しました。


めぐめぐがすごいと思う市橋とし子さんのこと

1 今村繁子さんの人形に魅せられて、すぐ行動され、弟子になり、素晴らしい作家になられたこと

2そして人形作家として認められてからも、更に他の分野に学ばれ更にその技巧を極められたこと

3人間国宝となられてからも益々制作活動を行われ、個展で多くの方々がその素晴らしい作品に感動されたこと。



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