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第4週目 メディアで活躍する日本女性 三田佳子

第4週目メディアで活躍する女性の4人目は三田佳子さんです。
三田 佳子(みた よしこ)さんは1941年10月8日大阪府大阪市生まれ。
石黒嘉子さんとして生を受けました。
芸名の三田は慶應義塾大学野球部のファンだったためだそうです。
生後半年で東京都に移り、戦争真っただ中3歳の年に一家で山梨県へ疎開され、終戦後はずっと東京で育たれます。
女子中高一貫校に進学され、中学・高校時代から多数のテレビに出演されます。
高校在学中から映画会社数社にスカウトされるが断り続け、高校を卒業した1960年春に第二東映へ入社されます。
同年、『殺られてたまるか』で女優デビューしました。
当初から主役級で起用され、東映映画の看板女優との扱いを受けます。
そのスターぶりは出た映画の数が示しています。
67年に退社されるまでの映画の毎年の数を記します。


60年 9本
61年 15本
62年 14本
63年 12本
64年 8本
65年 6本
66年 3本
67年 3本


その後もコンスタントに毎年2本ほど出られています。

1967年に東映を退社しフリーとなった後は、映画よりもテレビと舞台を中心に活動されています。1973年にはNHK大河ドラマ黄金期の『国盗り物語』に出演しより多くの人に知られるようになりました。。
1984年、映画『Wの悲劇』での女優役の演技が高く評価され、各映画賞を受賞されています。
また1986年、三田の演技力を以前から評価していた橋田壽賀子脚本作品の『いのち』に主演され高視聴率を獲得しておられます。

また1989年と1990年に『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を連続して務めておられます。
特に大河ドラマ『いのち』『花の乱』2本で主演を務めておられ、大河ドラマに複数回主演した唯一の女優と言われます。
高額納税者番付において俳優・タレント部門で1991年から1994年まで4年連続で首位となり、宝島社の「日本の女優100人」に掲載されています。
もちろん演技力は100人の中でも上位に位置づけられる。三田さんの人気の理由は強烈な個性が無いかわり、「多くのファンに感情を移入させるタイプの女優」と評されます。
1996年に子宮体癌が発覚し緊急入院され、手術と5度の抗がん剤治療が功を奏して退院し活動をまた再開されました。
1998年に次男の高橋祐也氏が覚醒剤取締法違反で逮捕される。当時高校生で未成年であったことから三田の責任も追及され、、7社と契約していたCMを全て降板し、女優活動を十ヶ月自粛した。復帰後はそれまで通りの活躍を見せたが、2000年に次男が同じ容疑で再び逮捕されて世論で批判され、一年間活動を自粛されています。

2003年に、デビュー時から親交のあった水野晴郎氏が復帰の手助けとして、自身の映画『シベリア超特急3』の主演に起用、その後は映画『海猫』、テレビドラマ『いま、会いにゆきます』など仕事を再開され、2007年9月16日放送の『ひまわり〜夏目雅子27年の生涯と母の愛〜』で、仲間由紀恵とダブル主演されています。
そして2007年11月15日、次男が覚醒剤所持の現行犯で3回目の逮捕となりますが
今回はあまり自粛はありませんでした。
そして2014年春の叙勲で旭日小綬章を授章されています。
2018年9月10日、次男の覚醒剤使用の疑いによる4度目の逮捕を受けてブログを更新。「親としては、もう力及ばずの心境です。」と語られています。
そして2020年現在もメディアでご活躍中です。

めぐめぐがすごいと思う三田佳子さんのこと

1 60年代特に東映に入社され最初の5年間、かなりの映画に休みなく出演されていること。この時は多分毎日朝から夜まで撮影が何日も続いたのだと思われます。それを20代の若いころやりきったのがまずすごいと思います。

2 フリーになられてから映画だけでなく、TV舞台そしてCMと活躍の場を広げられ、素晴らしい成果を上げておられること。

3 あまりにも忙しい中で母親として最高のことはできなかったのかもしれませんが、それでも何度も復帰されますます活躍されているのは、やはり女優としての才能が素晴らしいことであるに限ると思います。やはり高視聴率がとれる素晴らしい女優さんなのだと思います

益々お元気でご活躍を祈念しています。


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