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クリスマス・イヴの日、ひとつ決めごとをした

サンタさんは、気まぐれだと思っていた。

子どもの頃、どれだけ頑張ってお願いしても、ほしいものをもらえなかった。

きれいな字で手紙を書いてみたり、見えやすいように高い位置に手紙を貼ってみたり。

自分なりに工夫はしてみたけれど、クリスマスプレゼントはいつもお菓子だった。

サンタさんの正体は、おじいちゃんとおばあちゃん。ゲームばかり欲しがるわたしに、一切ゲームを与えなかった。

それも、ひとつの愛の形だったのだ、と思う。


ふと考える。おとなになった今、わたしはサンタさんになれるだろうか、そもそも人を愛することができているのか、と。

エーリッヒ・フロムは「愛することは、技術である」と言った。

人は愛されることばかりに関心を寄せる。でも、愛し方については学んでいない、と。

サンタさんから、欲しいものをもらうための工夫は、きっと愛されるための工夫だったのだと思う。


おとなになってからも、相変わらず、相手から気に入られることばかり考えている。

じゃあ、わたしは一体、どれだけ相手に与えて、愛情を注いできたのか。

正直、わからない。

わからないというのは、あまり考えてこなかった証拠なのかもしれない。


フロムは、愛には4つの要素が必要だといった。それは「配慮」「責任」「尊敬」「理解」だ。

4つの要素の中で、特に必要で、かつ、むずかしいのは「理解」ではないか、と思う。

それは、わたしに一番足りないものでもある。

わたしは、仲が深くなると「知りたい!」という気持ちが薄れてくる。自分の懐に入れたからといって、その人はその人だ。わたしの一部ではない。

それなのに、なんだか自分のものになったような気がして、知りたい気持ちが薄れてしまうのだ。


そんなわたしは、クリスマス・イヴの日、ひとつ決めごとをした。

それは、パートナーに、一日ひとつ喜んでもらう工夫をすること。

もちろん、相手を観察したり、質問したりすることでも、相手への理解を深められる。

でも、わたしは、喜んでもらうための試行錯誤をしてみたいと思った。

なんとなく「どうしたら、相手のことを知れるだろう?」じゃなくて、「どうしたら、嬉しいかな?」の問いのほうが、楽しそうだった。

トライ・アンド・エラーを通して、必然的に相手を知ることができるし、どうせなら、相手もわたしも楽しめることがいいな、と思ったのだ。

わたしは未熟で、人との関係性を結ぶことが苦手だ。だからこそ、少しずつ、自分の楽しめる方法で試行錯誤していきたい

早速、今年のクリスマスは、サンタさんになってみた。

おわりに:noteを書く社内部活動の今週のテーマは「サンタクロースはいる」でした。わたしはサンタさんになれるのか?と考えてみました。

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