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「25歳で特別養子縁組の真実告知を受けて ー「望まない妊娠」という言葉に思うこと」を読んで

「25歳で特別養子縁組の真実告知を受けて ー「望まない妊娠」という言葉に思うこと」という記事を読んで感じたことを自分の言葉でまとめてみました。

この記事は特別養子縁組の当事者の方へのインタビュー記事です。記事の中で私が特に心を揺さぶられたのは、この部分。

私が心が苦しくなるのは「望まない妊娠」とか「虐待死から助ける」という言葉です。
でも、養子当事者が「望まぬ妊娠」とか「虐待死」というのを聞くと、名前も顔も知らない生みの親が自分を殺そうとしたのかとか具体的に考えてしまうんですね。
特別養子縁組=生みの親の望まない妊娠、と繋げられていますが、「育ての親」はその子どもを望みますよね? たとえば養子縁組で子どもを迎えてからもう何年も幸せに過ごしている親子がいたとします。
その親にとって、その子どもはかけがえのない子どもですよね。生みの親は望まなかったかもしれないけど、その妊娠がなければ育ての親も会えなかった子どもです

 私は特別養子縁組の当事者ではないですが、「本当は生まれる予定ではなかった」という言葉を聞きながら育ちました。「望まない妊娠」がきっかけで生まれた子どもでした。

「望まない妊娠」という言葉を耳にした時、自らが口にした時、少しだけ心が傷んだのは、「私って必要じゃなかったんだ・・・」という気持ちが芽生えたからだった。この記事が、そう気づかせてくれました。


じゃあ、どうしたら当事者が痛みを感じなくなるだろう。

そう考えた時に自分なりに見つけた手段が、「状態を表現する言葉」に置き換えることです。記事内でも出てきますが、「望まない妊娠」の場合だと、「予期せぬ妊娠」のように。


「望まない」という気持ちを表現する言葉が入っているから、より辛く感じる。状態を表現する言葉だと、あくまでも事実を伝えているだけだから、痛みが少ないんじゃないかなと思いました。

また、「望まない妊娠」に限らず、当事者が心を痛める言葉ってたくさんあるなあと思います。

様々な課題の当事者の方って、抱えている課題は人それぞれ違うけれど、みんなに共通していることがあると思うんです。


それは、その課題を抱えながら生きていくために、生活の中で工夫を重ねていることだと思うんです。

ある意味で、それぞれの生活を一生懸命頑張っている人たちだと思います。


大人になってみて思うのは、想像以上に、自分の周りに「当事者」と呼ばれてもおかしくない人がたくさんいたことです。

今一人ひとりの顔を思い浮かべてみて、「かわいそうだから、助けてあげるよ」なんて、どの人にも言えそうにないです。

どちらかというと、「何か力になれることはないかな?」という気持ち。支援するというよりは、応援するという感覚に近いような気がします。

発信する時は、当事者が「かわいそうな人」に見えないような配慮が必要だと、サービスの提供側として考えさせられた記事でした。


本当に手前味噌ですが、素晴らしい内容なので多くの方にこの記事を見てほしいなあと思っています。支援者の方、発信者の方には特に見ていただきたいです。

記事はこちら「25歳で特別養子縁組の真実告知を受けて ー「望まない妊娠」という言葉に思うこと」

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