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とりとめのない記録(働くこと・自分の本質について)

5月末でパートの仕事を退職しました。しばらくは休業しつつ、今後の方針を考えつつ、秋くらいからまたなんらかの形で働ければいいなあ、と思っています。

退職した職場は小学生向けのプログラミング教室だったんですが、いわゆる子どもに「先生」と呼ばれる仕事特有のものなのか、毎回すごく生徒さんからエネルギーをもらうというか、目の前に子どもたちがいて、この子たちを喜ばせるためなら! わたしは!なんだってする!!! みたいな使命感が生まれてくるのを止められなかったといいますか、いろんなことがあったなあ……、濃密な3年間だったなあ…… としみじみ振り返って寂しくなって泣いちゃったりしていました。いい職場でした。

どうもわたし、仕事内容に、やったことがないこと・できるかどうかわからないこと(しかもどちらかというと苦手寄りの「できるかどうかわからなさ」)が含まれていないとわくわくしないというか、未知のことに突っ込んでいきたくなっちゃうというか、そういうところがありますね。新卒のときからずーっとそうなので、なんなのか?マゾなのか?一種の現実逃避なのか……? マゾって言っちゃうのは、真のマゾ(?)の人に失礼な気がしますね。わたしのはもっと「にわか」感がつよいというか、現実逃避というか、他人事なだけというか、無責任なだけというか、これは自分の人生だっていう覚悟がないだけな気がするなあ……

仕事をする、というのは多かれ少なかれ「仕事をしている自分としての仮面」をかぶる側面はあると思うのです。思うんだけれど、なんかその仮面が、ちょっと分厚いのでは……? というのは思います。仮面が分厚いと、擬態するまでに時間がかかるんですよね。

次はもうちょっと、わたしが、わたしの本質的な、素の部分を愛せるような仕事をしたいというか。まあそれは仕事としてじゃなくてもいいのかもしれないけれど、とにかく、生活の中心に持ってきたいのです。わたしが好きなのは、人間の心理を考えることや言葉をあつかうこと。どんなに「考えるな」と言われても、放っておいても自分が自然にやってしまうことを、生活の中心に持ってこれたらいいなー

って、すっごい、何を言ってるかわからなくなってきたのでここらでやめます。いまめっちゃお酒のんでいます。視界がぼやける…… お酒を飲んだことで、ようやくきちんと過去のこととして振り返ることができたかも。

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