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スマナサーラ長老講演会「ブッダの瞑想と私たちの人生」:エッセイ

ブッダの教えは、先進的科学的教え
5月16日、私は久しぶりにアルボムッレ・スマナサーラ長老の講演会に行ってきました。長老は、テーラワーダ仏教の著名な長老であり、その深い智慧とユーモアのある語り口で多くの信者を魅了しています。
今回の講演テーマは、「ブッダの瞑想と私たちの人生」でした。長老は、ブッダの教えは宗教ではなく、先進的科学的教えであると述べました。

命とは何か?
長老は、私たちが日常的に抱いている「命」という概念について問いかけました。「命とは何か?自分の命、自分は何です?」。
私たちは、自分の身体や思考、感情を「自分」だと考えています。しかし、長老によると、これらのものは常に変化しており、固定的な「自分」など存在しないというのです。

シックスセンスを使って体で感じる
長老は、私たちが持つ五感に加え、第六感である「心」を使って体で感じることを強調しました。
物体(身体)の中に感覚があること、生きるために様々なことをしなければならないこと、そして生きることは苦であることを、体で感じることが大切です。
無常と潜在的存在
長老は、ブッダの教えである「無常」と「潜在的存在」について説明しました。
無常とは、あらゆるものは常に変化しており、固定的なものは存在しないということです。潜在的存在とは、私たちの中に無限の可能性が秘められているということです。
宇宙を感じる心がいる
長老は、私たちの中に宇宙を感じる心が存在することを述べました。
この心は、エゴや無明によって覆われていますが、瞑想を通して目覚めさせることができます。
我々は孤独だと思ったら悟ったことになる
長老は、悟りとは「我々は孤独だ」と気づいた状態であると述べました。
エゴは、私たちを自分自身と他者から隔てます。しかし、エゴを手放すことで、私たちは真のつながりを体験することができます。
無明:知らない、認識されない
長老は、無明について説明しました。
無明とは、自分の真の姿を知らない状態です。私たちは、無明によって様々な苦しみを経験します。
瞬間瞬間を変化していることを無視している
長老は、私たちは瞬間瞬間変化していることを無視していると述べました。
私たちは、過去や未来にとらわれがちですが、大切なのは今この瞬間です。
死んでいなから生きている、目的がない、ただいればいい
長老は、死んでいなから生きている、目的がない、ただいればいいと述べました。
私たちは、常に変化しており、固定的な「自分」など存在しないのです。
心はエネルギーで身体に支持されている
長老は、心はエネルギーであり、身体によって支えられていると述べました。
心が乱れると、身体にも悪影響が出ます。

感想
今回の講演を通して、仏教の奥深さを改めて実感しました。仏教は、一見シンプルな教えに見えますが、その中には、人生の根本的な問題に対する深い洞察が含まれています。
特に印象に残ったのは、「我々は孤独だと思ったら悟ったことになる」という言葉です。私たちは、自分と周囲のすべてが繋がっていることを認識した時に、真の悟りを得ることができるという、仏教の核心的な教えを分かりやすく表現した言葉だと思います。
また、「無明」という言葉も、現代社会における様々な問題の根源を突いていると感じました。私たちは、真実を認識できず、様々な欲望や煩悩に囚われて苦しんでいます。仏教の教えは、こうした無明から解き放たれ、真の幸福を手に入れるための指針となるでしょう。
講演後、改めて世俗的な欲望や名声、名誉を求めることなく、ただ真実を探求し、無明を認識したいという強い思いが湧き上がりました。
スマナサーラ長老の慈悲深い教えに、心から感謝しています。今後も、仏教の学びを深め、自分自身の人生をより豊かに、より意味のあるものにしていきたいと思います。

無明とは、仏教用語で「無知」を意味し、真理に暗いこと、根源的な無知を指します。これは人間が持つ欲望や執着心などの諸煩悩の根本にあるもので、十二因縁の最初に位置します。また、天台宗では三惑の一つとされています¹。

無明は、この世のあらゆる苦しみの根本的な原因とされ、仏教では人生の苦しみを生み出す無明を解消することで、苦しみから解放されると教えています。無明の状態は、真理を知らず、心に迷いが生じることから、無明長夜(むみょうちょうや)とも表現され、真っ暗な夜が長く続くような状態を比喩しています²。

仏教では、無明を滅することによって生死の苦から解脱することが最終目的であり、無明は知的な煩悩であり、煩悩の中で最も根本的なものとされています³。無明を克服し、悟りを開くことが仏教の修行の目的の一つです。無明を解くことで、真理を見ることができ、心の平安を得ることができるとされています。

ソース: Bing との会話 2024/5/17
(1) . https://bing.com/search?q=%e7%84%a1%e6%98%8e%e3%81%ae%e6%84%8f%e5%91%b3.
(2) 無明の意味とは"苦しみの究極の原因"|仏教の教えや無明長夜 .... https://shinto-bukkyo.net/bukkyo/%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E7%9F%A5%E8%AD%98%E3%83%BB%E4%BD%9C%E6%B3%95/%E7%84%A1%E6%98%8E/.
(3) 無明(ムミョウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク. https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E6%98%8E-140780.
(4) 無明=苦しみの根源?無明の意味・無明を用いた四字熟語に .... https://ikikata.nishinippon.co.jp/term/3627/.
(5) 「無明」(むみょう)の意味 - 国語辞典オンライン. https://kokugo.jitenon.jp/word/p49742.
(6) undefined. http://www.oxforddictionaries.com/.

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仏教における「六感」とは、人間が持つ六つの感覚器官、すなわち「六根」のことを指します。これらは以下の通りです¹:

1. 眼根(げんこん):視覚を担当する眼
2. 耳根(にこん):聴覚を担当する耳
3. 鼻根(びこん):嗅覚を担当する鼻
4. 舌根(ぜつこん):味覚を担当する舌
5. 身根(しんこん):触覚を担当する身体
6. 意根(いこん):意識や思考を担当する心

これらの感覚器官は、それぞれが対応する外界の対象(六境)を知覚します。六境は以下のように対応しています¹:

1. 色:眼根によって知覚される形と色
2. 声:耳根によって知覚される音
3. 香:鼻根によって知覚される匂い
4. 味:舌根によって知覚される味
5. 触:身根によって知覚される触感
6. 法:意根によって知覚される思考や法則

六根が六境を知覚することによって生じる認識を「六識」といい、これは個々の感覚器官による認識のプロセスを指します。例えば、眼根が色を知覚することによって生じる認識を「眼識」といいます¹。

仏教では、これらの感覚器官が煩悩や迷いの原因となることもあります。そのため、六根を清浄に保つこと、すなわち「六根清浄」という概念が重要視されています。これは、感覚器官を煩悩や私欲から遠ざけ、清らかで汚れのない状態に保つことを意味し、心身を清らかにすることで正しい道を歩むことができるとされています²。

ソース: Bing との会話 2024/5/17
(1) 六根(眼耳鼻舌身意)と六境(色声香味触法)と六識の意味 .... https://www.zen-essay.com/entry/rokkon-rokkyou-rokusiki.
(2) 六根清浄とは?仏教の教えの一つ?六根の意味、使い方を紹介 .... https://ikikata.nishinippon.co.jp/term/4828/.
(3) 六識(ロクシキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク. https://kotobank.jp/word/%E5%85%AD%E8%AD%98-152633.
(4) 仏教のことば:「境(きょう)」 | 一日一生 仏陀のことば. https://blog.buddha-osie.com/kotoba/859/.
(5) undefined. https://konjinnomiya.jp/rokkonsyouzyouooharae/.

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