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そういえば文字や文章に逃げてた人生だったなと思ったお話 ~これからは会話も大切にしていこうと決意するの巻~


私、幼稚園~小学校低学年までいじめにあっていて。

で、その時期の気持ちを小学校三年生の時に人権作文として書いて、学校の?学年の?クラスの?代表として出した経験があって。
当時の担任の先生は、私のアクションに真面目に受け止めてくれて、教室で先生が私の書いた作文を読んでくれて。
そのあとクラスの子から「いじめてた子誰だったの?」的な話で私に話しかけてくれたりする子が増えて。

なんか、三、四年生の時はほんとに平和なクラスだったんだよなあって。
私が作文を通して、嫌だった思い出を救出したことがあったなあってなんかふと思い出して。
多分、これをきっかけに文章を書くことが私のストレス発散のツールの一つになったんだと思う。

大学受験も、目指している大学が一般入試だとレベル高いからっていうので、推薦入試(小論文)で勝負しようって思えたのも、少なからず文章を書くことに抵抗がなかったからだし。
今でもブログとかnoteに書き残しているのも文章書くことに抵抗がないからだし。
文章だと素直に自分の気持ちを乗せられる(載せられる) のはこういう経験の積み重ねなんだろうなって思った。

だけど。だからこそ、文章に甘んじているなと最近痛感して。

会話が下手くそ過ぎるんだよな、私。(汗)
人見知りなのも文章に “逃げ続けた結果” なのかもって最近思うようになった。
自分の気持ちを、家族や友人、大切な人や仲間や同僚とかに直接伝えることって、私にとって結構ハードル高くて、ずっと穏便にとか、距離を取っていたかもって今更ながら気付いた。

もう大分、大人になったのだし。(笑)
苦手意識が強いことにも積極的に挑戦していこうかなって思う。
ただでさえ、コロナ禍でリアルで気軽に会えないご時世な中、私とリアルで関わってくれている人たちには、せめてもう少し誠意を持って会話していこうって。

って、文章で宣言している時点で逃げているよね。(苦笑)
これから少しずつがんばります。^^


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