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古典衣装考察3 エカテリーナII世


フランスで舞台衣装家をしています、megumi です。

舞台衣装家をどのように志し、渡仏し、どんな舞台を手掛けて来たか。

思い出しつつゆっくりと綴っています。

(写真は家宝、エカテリーナII世作の戯曲。古本屋のムッシュは18世紀の物だと言ってたけど、紙質etcから推察するに、19世紀ごろのではないかと…丁度レミゼの革命の頃⁇)

18世紀のヨーロッパ

一度中世に戻りましたが、再び18世紀、マリアテレジアやマリーアントワネットやモーツァルトの時代ふたたび。
日本でも割と知られている時代ではないかと思います。

この時代、ヨーロッパやその文化に憧れる国々の王宮での共通語はフランス語でした。

ロシアのエカテリーナ大帝の宮廷も然り。

ロシアの民衆への心遣いからロシア語も習得した、元ドイツ人の大帝ですが、フランス語は元々堪能(かの時代では常識の、上流階級子女教育係はフランス人でした)で、ベルサイユへの憧れもあってフランス風が主流だった、ロシア宮廷。

今も残るエカテリーナのウェディングドレスも、フランス風な上、ロシアの財力の誇示の為と言われている金銀細工も見事です。

エカテリーナ2世のウエディングドレス


ジュリエットの生きた中世から、少しずつコルセットが発達していって、エカテリーナの時代には、ウエストを絞りに絞ったコルセットが主流に。

エカテリーナは子供の頃の流行り病で形が崩れた背骨のリハビリに、鉄製のコルセットを付けさせられていたと言います。

plis watteaux プリ ワトー
今回扱うのは、18世紀当時、貴族階級の日常服だったドレス。
エカテリーナ大帝も日常的に着ていたと思われるドレスです。

18世紀のドレス、通称プリ・ワトー。


プリ・ワトー自体はガウンの一種ですが、コルセット使いのドレスと一体化された物です。


18世紀の基本ドレス

les blancs 現代の下着に当たる物を、当時はまとめて"白"と呼んでいました。
当時出来たパリの国立劇場コメディフランセーズには、今に至るまでatelier des blancs(白のアトリエ)と言う、白物、特にシャツやフリル襟等を扱った特別なアトリエが存在します。

la chemise et le carçon , les bas , les manches (caraco) , les cols 、le boudin etc
ブラウス、カルソン、ガーターストッキング、別付けの袖、襟、パニエの上につけるクッションetc

Le panier 


写真は、4分の1サイズで再現した、普段使いのパニエとスカートを膨らませる為の、クッション。

ドレス部分

le corps  コルセットの先祖。当時はドレスの一部としても使われていました。見えるコルセットcorps visible 、見えないコルセットcorps invisible と分けられていました。
la jupe スカート
上記ウェディングドレスが、まさに典型的ドレススタイル。

le plis watteaux
ドレスの上に着ていたガウンのようなもの。 
背中のひだは、こんな感じ。
(1/4サイズのマヌカン使用)


私の敬愛するエカテリーナII世と、その少し前からオーストリアを統治していたマリア・テレジアとその末娘マリー・アントワネットと,
彼女にプロポーズしたモーツァルトは同じ時期の人たちで、後にマリー・アントワネットが夫ルイ16世と共にギロチンにかけられる事になるフランス革命は、ロシアにも悪影響を与えます。

結局、ロマノフ帝家も第一次世界大戦の混乱もあって、滅亡の運命を辿りますが、それはまたのちのお話。

19世紀のドレス考察の時には、シシィ(皇妃エリザベート)の話も含めて、説明する事になるでしょう。

余談ですが、20年以上前にマリー・アントワネットの衣装をやった時、国立図書館で下調べをしていて見つけた、フランス革命前数年の瓦版をまとめた資料が、少しずつたくみに王家をギロチンに導いているようで読んでいてゾッとしました。

あんな物がばら撒かれていたら、そりゃ民衆はアントワネットを悪人に仕立て上げますよ…(のんびりとしたルイ16世は、民衆に好かれていたらしいです。)私も、読んでて憎くなりました。汗

時代衣装って、結局歴史好きじゃないと務まらない感ハンパない記事になってしまいました。

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