見出し画像

14/ 初期のお仕事


フランスで舞台衣装家をしています、megumi です。

舞台衣装家をどのように志し、渡仏し、どんな舞台を手掛けて来たか。

思い出しつつゆっくりと綴っています。

前回までは。


衣装家を目指して渡仏、資格取得後筆舌に尽くせない下積み時代を過ごすも、無事intermittent du spectacle のタイトルも獲得、衣装家人生が本格的にスタートしました。

その頃のお仕事

実は時系列良く思い出せないので、前後が逆になる事もあるかと思います。

あの頃をご存知の方、あれ?と思う内容があっても、大きな心でお見守り下さいませ✋


90年代後半は、リヨンに住んでいました。

初期の頃はお仕事もそれ程入らなかったし、パリの仕事が入ると、必要な時だけパリの友人宅でお世話になってました。

日本では考えられないけど、こちらでは1〜2週間滞在する友達なんてザラにいますし、私も仏人化したふりしてひと月とか泊まってました。

娘が生まれてからはそうも行かなくなって来て、あまり仕事をしていない私を見かねて夫が移動願いを出して、パリに移りました。

フランス人って、パリが嫌いな人が多くて、何かと言っては地方に行きたがるんですけど、パリに行きたい地方人は少ないので簡単に決まったようです。

何しろ、リヨンに移りたい人なんて沢山いたので。

救世主フランソワとの出会い

当初はその社宅みたいな所に住んでいたんですけど、みんな仲良しで夏には持ち寄りバーベキューを毎週末やってました。

そこで知り合ったのが、上階に住んでいた業界人のフランソワで、たまたまその頃、彼の知り合いの衣装&舞台美術のアトリエを持つ劇団がとても忙しくて、縫える人を探してると紹介してくれて、翌日連れて行ってくれました。

最初はボランティアって事だったけどまだコネもない時代だったし、とりあえず行ってみたら私の技術を見てすぐ本採用してくれました。

そこが、その後十数年たった今でも通い続けている劇団の一つ、パリ南郊外のクレテイユにあるアトリエ。

大ボスがなかなかクセがあって手強かったので、まぁ良く泣かされてました。

そこでは、Mouhad Merzouki やJosé Montalvoと言った、フランスのダンス好きなら誰でも知ってる振り付け師の舞台やカーニバルの衣装、オペラバスチーユ小劇場の衣装等々扱ってますが、忙しすぎて一つ終わったら完全に記憶から消えてる作品も多々あります。

2021年5月現在

6月初旬のオペラバスチーユの舞台の衣装を準備中。

ロックダウンが解除されるか、劇場がオープンさせてもらえるのか等々色々あって、準備期間はひと月半で、総衣装数約200着。
記憶から飛ぶ理由、伝わりましたか?笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?