私の生い立ち~すべては私の鏡 1~
自己紹介もせずに書き始めたnote
少しずつ自分のことを書いていくことにしました。
10年前くらいですね、一度、自分の生い立ちについて書いたことがあります。
今、再度、書くことで何か自分の中で変化あるのかという興味もありながら綴ります。
私は、青森という自然豊かな土地に生まれ、生まれてからこの土地から出たことがありません。
何故、青森という土地に生まれたのか・・・
そんなことをふと思うことがあります。
若い頃は、早くこんなところから出てやる!なんて思っていました。
いや、この家から出てやる!だったと思います。
私は、DVの家庭で育ちました。
父は、住宅の電気配線の工事などを行う電気工事士という職業で生計を立てていました。
母は、専業主婦で教育熱心で厳しい人でした。
やがてそれが、私の生きづらさになっていきます。
私は、三人姉妹の長女です。
しっかり者と母には思われていました。
父は、私が小学生に入る少し前に会社を設立し、それがみるみるうちに波に乗り、従業員も雇うことができるまでになりました。
いつからだろう・・・
そんな父が、お酒を飲んで暴力を振るうようになったのは・・・
以前も過去の記憶については書いてきたはずなのに、何故だか涙が出てきます。
もう私の心は大丈夫と思っていたのにね。
小学校入学少し前に新しい家に引っ越し、
父の会社もその頃に会社を設立し、忙しくなっていったと思います。
景気も良く会社の経営は順調でした。
学校、公共の施設の仕事もするようになり、周りからの信頼も厚い父でした。
しかし、お酒を飲むと人が変わりました。
今思えば、会社が傾き始めた頃が父の暴力は、一番ひどかったかもしれません。
私が、高校2年生の頃には、会社が破産という状況だったと思います。
当時、父は1週間、家からいなくなったことがありました。
その時の不安と恐怖は今でも鮮明に覚えています。
私は、瞬時に妹たちと母親を守らなければと必死に恐怖に耐えていました。
そんな思いの中には、父親を責める気持ちと無事でいてほしいという気持ちが交互に駆け巡り、眠れない日々が続きました。
数日後、帰ってきた父は、死ぬために出ていったと家族に告白します。
私は、怒りでいっぱいになり、それと同時に安堵で涙があふれ出ました。
当時、そのような家庭の状態を誰にも話しませんでした。学校の先生にも友人にも・・・
父がお酒に酔って、刃物を持ち出し襲ってくることも、母親を殴ることも、友人には、決して話しませんでした。
DV家庭で育った子どもは、それが当たり前であり、異常だと思わないこともあるそうです。
私は、父がお酒を飲み始めると恐怖でいっぱいになり、何も起きないことをいつも願っていました。
過去を振り返ると、本当によく今まで生きてこれたと自分でも関心します。(笑)
私は、父の暴力はいつかなくなると心の奥底で信じていました。
父が家出から帰ってから会社が破産し、今まで住んでいた家から追われることになります。
今日は、ここまで・・・
お読みくださりありがとうございます。
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