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なかなかポルノグラフィティと交差することがない音楽遍歴(前編)〜My 80's〜

今回のロマポル解放区開演前のSEでポルノグラフィティのおふたりの青春時代の音楽が次々に流れて話題になりました。
フォロワーのみなさんも「懐かしい!」「聴いてた!」と盛り上がる中、おふたりと同年代にも関わらず流れている曲がほとんど分からなかった私。悔しい…「知ってる!知ってるー!」って言いたかった。
これまで23年間ポルノグラフィティを通らずに来たのは「バンド名や若かりし頃の近寄りがたい外見のせい」と思ってましたが、みなさんの盛り上がりようを見ていて、もしやそもそも音楽的背景の違いか?と思い当たりました。残念すぎる。
でもXでみなさんと青春時代に聴いてた音楽の話しをしたのがめちゃくちゃ楽しかったので、来し方を振り返ってみます。


小学生時代(1980〜1986年)

よくある「歌番組禁止」の家で育ちました。ドリフとかももちろん(?)観たことないです。
この時代を生きたにも関わらず、松田聖子を1曲も歌えません
一世を風靡したチェッカーズは大人になってからベストアルバムを聴いて覚えました。

小学生の時に自分の意思で一番聴いていたのはサウンドオブミュージックとメリー・ポピンズのサントラ。嫌なことがあるとずっと「ひとさじのお砂糖」を歌ってた。
NO MUSIC NO LIFE、ひたすら音楽を浴び続けてきた私の土台はメリーポピンズで出来ています。
ジュリー・アンドリュースは永遠の憧れ。

ミュージカルの次に聴いていたのはクラシックのザ・名曲もの。
もともと家で流れていたのを聴くうちに、自分でも聴くようになり、小5の時にはお年玉で第九と運命のポケットスコアを購入。
私の音楽人生、実は半分はクラシックです。


母が聴いているさだまさし、ビートルズもいいなと思って、カセットテープにダビングして聴いていました。今もお正月は亡き母のことを思いながら「年の初めはさだまさし」を必ず観ます。

中学生時代(1986年〜1989年)

友だちに教えてもらって「ラジオで音楽を聴く」という手段を知ります。
ヒットチャートを聴き始めた頃に、1回歌声を聴いだけで沼落ちしたのが徳永英明。
今で言うところのガチ恋。

13歳になるまでアイドルをひとりも知らない人生だったわけで、そんな女子中学生がひとたび好きなアーティストができてしまったらそれはもうひたすらピュアにハマるわけです
初めてCDを買い、CD屋さんでもらったポスターを部屋に貼りまくり、音楽雑誌の切り抜きをファイリングし、深夜ラジオを親に隠れて聴き、初めてライブに行くことを覚えました。

ネットがない時代、音楽雑誌の文通募集コーナーに載っている住所宛にいきなり手紙を書いてファン友だちを作りました。
音楽雑誌に非公式ファンクラブの募集コーナーもあって、どこかの高校生のお姉さんが手書き+コピーで作った会報を読むのも楽しかった。
歌詞もインタビューも隅から隅まで、あるかないかわからない行間まで深読みしまくってた。

当時「あくまでも音楽が好きなのであって、外見とか関係ない!」と主張してましたが、今振り返ると普通にミーハーなファンだったと思います。絶対に好きな顔だよ。

このライブビデオはMCの内容も、どこで歌詞間違えたかも完コピできるくらい観た


他によく聴いていたのは尾崎豊とTMネットワーク
尾崎はすでに窓ガラス割っちゃうような過激な歌詞の時代を過ぎて、とにかく内省的な歌を歌っていた時代でした。
今も昔も「太陽の破片」が一番好き。 

悔やんでも悔やみきれないのですがライブに行ったことはありません。中高生の頃、ライブに行くのは年に1回(=徳永さん)が限界でした
中学生の時にあった東京ドーム公演、割と家が近かったのでグッズだけ買いに行って、リハーサルの音漏れが聴こえないかうろうろしてたらダフ屋に「アリーナあるよ、5万」と言われた思い出。

TMネットワークは音がとにかくかっこよかった。
やっぱりライブは行ったことないけど、特にこのアルバムは相当聴き込んでました。てっちゃん(小室哲哉)に憧れました。

アルバムをしっかり深く聴きこんでいたのは徳永英明、尾崎豊、TMネットワーク。

あとは杉山清貴とか渡辺美里、小田和正あたりを広く浅く聴きていた気がします。

どれも久しぶりに聴いたけれど一気にあの時代に気持ちが戻ります。空が高すぎる、名曲…


洋楽もかっこよさそうと思って、徳永さんがラジオで流していたa-haとか聴いてみたけれど、歌詞を最重視するタイプなので何を歌ってるか理解できない洋楽はあっさり断念しました。

クラシックも引き続き好きでしたが、徳永さんにうつつを抜かしていたのでこの頃はそれほど聴いていません。

世の中は光GENJIの全盛期で光GENJIが好きかどうかではなく「光GENJIの誰が好き?」に答えなくてはならない圧があった時代でした笑。

高校時代(1989年〜1992年)

部活の先輩に憧れるようになったりして、徳永さんの「ガチ恋」は終了
普通のガチなファンになり、親を必死に説き伏せて栃木でやる野外ライブに行ったりしてました。人生初の野外ライブは伝説の大雨で3〜4曲歌っただけで中止、ライブの雨に耐性がついたのはこの経験から。

尾崎やTMの他に新しく聴き始めたのはドリカム
ブレーキランプ5回点滅、大学生になるとみんなやってた笑。

この頃が今回のロマポルのSEで流れてた音楽の時代。
当時の音楽シーンはいわゆるバンドブーム真っ盛りで、音楽雑誌にはBARBEE BOYSはもちろん、米米クラブ、BOØWY、BUCK-TICK、ZIGGYなど、尖った風貌のバンドがずらりと並んでいました

存在は認知していたし、ライブで盛り上がるのも好きだからバンドって楽しそうだなと思ったけれど、結局そちらのジャンルには手を出すことはなく、この頃一番聴いてきた音楽は実は徳永英明でも尾崎でもドリカムでもなく、クラシックと部活でやっていた吹奏楽でした。

コンクール目指して朝練・昼練・放課後とがしがし楽器を練習する日々。
そして一番好きなのはオーケストラ。小学生の頃から今に至るまでこの世で一番美しい音はバイオリンだと思っています。

因島高校の文化祭で昭仁さんが「カモン!」と歌ってたであろう頃、一学年上で大学受験期だった私は「大学に入ったらオケをやるんだ」とずっとこのCDのブラームスを聴いてました。(この音源、サブスクにあってびっくり)
この音源のブラ1聴くと反射的にセンター試験を思い出して暗い気持ちになります笑。

完全に昭仁さんと路線がかけ離れていってる…涙

でも、マリオネットとか今聴いてもめちゃくちゃかっこいいですね。このnote書きながらずっとリピートして聴いてます。

なんぼでも書けますが一度ここで投稿します。
後編は大学時代〜人生最大の病み期〜子育て期〜ポルノグラフィティに辿り着く期を書きます。楽しい。

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