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他の誰かになりたかった

さぁて、また今日という日を迎えました

おやすみなさいの時間ですが1日の始まりということであえておはようございます☀

私はタイトルにもあるように今までを振り返るといつも人を羨んでは私もこうなりたいと思うがままに行動してきたように思います。

あの子は彼氏がいるのに私はいないとかディズニーやライブへ行ってる友達を見て私も行きたいとかインスタを見ては人と比べてあせったりとなんとまあ忙しい生き方をしていたなと。

こうして文字に起こすと客観的に自分を見れる気がしてとても良いですね。

さてさてそんな生き方をしていたら私は本当に大切な自分という価値、存在の意味、大事な何かを掴めずにここまで来てしまいました。

本当にやりたいことは何なのか、何をすれば幸せと感じるのか、人と比べることに重きを置いたせいで自分が分からなくなってしまいました。

だから私論ですが、生きる上で大切なことを改めて文字にしてみたいと思います。

一つ目は自分の幸せに嘘をつかないこと。これは何があってもです。親がこういうとか先生、友達がこういうからとか関係ないです。人に合わせる生き方はのちに人生を分からなくしてしまう要因だからです。私は身を持って確信しています。

その具体例としてですが、私はお風呂が大好きでストレスも癒してくれるそんなお風呂に浸かることが小さな日々の幸せでした。しかし中学を卒業した頃、団地から親の実家に引っ越すことになってしまいました。そこは団地と違いとても古い家で水道は井戸水、お風呂やトイレは外にあり、シャワーも浴びれない、ましてやガスではない為、自分で火をつけて温めなければなりません。今までのごく普通の生活に慣れていた私からすれば窮屈さに心を痛めました。

そんな中でも私はここにいなければいけない、親への執着心みたいなものが邪魔をして一歩踏み出せずにいました。ずっと心の底には当たり前にお風呂に入りたい、シャワーを浴びたいと、思春期の女の子ならそう思っても仕方ないですよね。

こんなかんじで当たり前だと思っていたことが出来なくなった絶望感は今でも忘れられません。未来の子供にはこんな思いはさせたくないと心の底から思います。

幸せを我慢すればするほど自暴自棄になって生きている意味さえ分からなくなるものです。

二つ目は我慢しすぎないことです。何事も我慢すれば偉いという考えは捨てるべきだと思います。我慢は人を成長させてくれるのも確かですがそれ以上に自分を苦しめる方法も我慢ではないでしょうか。

心地良い我慢はするべきだと思うのです。例えば我慢した先に光が見える我慢。これはどんどんすべきだと思います。しかし先の見えない我慢は人を駄目にしてしまいます。心が悲鳴を上げる前に自分で気づいて逃げる事も、これは弱さではありません。逃げも前向きな逃げは強さだと思います。大人になると逃げる事を負けや恥だと勘違いしてる人が多いと思うし私もそう思ってしまうからです。ムズカシイ、、、

長くなってしまいましたがこれらが私論です。反対の声ももちろんあると思うし100%正しいわけでは勿論ないですが、誰かの役に立てれば嬉しいです。

おはようからおやすみなさい🌙

今日も皆さんにとって穏やかな1日でありますようにお祈りし夢見ます。


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