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「慣れ」という言葉がけっこう嫌い。わかってくれる人います?

「慣れ」という言葉、あなたはどんな印象を持ちますか?

「慣れ」って言葉を使わないように、心のどこかで避けてきたことに気がつきました。

誰かから何かを教わったときに、「慣れだよ!慣れ!」と言われるじゃないですか。これにちょっとひっかかってきたんだと思います。

確かに、「慣れ」って大切なんですよね。教わって、練習して、「慣れる」ことは大事なことです。当然です。結局は当人がどれだけ練習して自分のものにできるかがポイントなんですよね。

でもね、被害妄想かもしれないんですが、「慣れだよ」と言われると、なんか突き放された気がするんですよ。「もう俺は知らん。あとはお前がなんとかしろ」と言われたような感じ、というか。もう俺にできることはないぞ。って。自分が言うのはなんか仕事を放棄しているみたいな気がしてしまう。

慣れるためにもちろん練習することは大切。でも、だからといって闇雲に練習して、努力のベクトルを間違えてしまったら悲しい。

だから、私が何か教えるときは「あとは慣れだよ」と言わないように、相手を突き放している感じにならないように、仕事放棄をしないように、相手への寄り添いを感じてもらえるように、NGワードとして避けてきたかもしれません。

数学の計算練習のように本当に「慣れ」でしかどうにもできない問題もありますが、そういうときは、
「練習したらもっとうまくなるね💓」とか、
「3回繰り返したらできるようになっちゃうよ」とか、
「あとは繰り返すだけだけど、わからなくなったら遠慮なく聞くんだよ!」と、とにかく「突き放している」「仕事を放棄している」感じにならないようにしてきたかもしれません。

あなたは「慣れ」という言葉にどんな印象を持ちますか?

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