娘に夢見る父親
「子どもが小学生に上がったらな、親の職業を書くことが増えるんや、その時お前は何て書く?お前の仕事で子どもに辛い思いさせたらあかん。そのことよーく考えて、仕事は選べよ。」
家事代行のパートを始めると言ったら、
父はそう言った。
この手の説教は、初めてではない。
父は高齢、認知症を患い、介護認定も受けている。
老いる前の父なら、きっともっと時間をかけて、厳しい口調で、私が辞めるというまで、説いてきただろう。
老いた父を相手に、理解してもらおう、話し合おう、説得しようとは思わないし、
今の私は、父の言葉に自分の選択を左右されることもない。
けれど、この類の言葉は、心にアザを残す。
何度も喰らっている、老いた父の言葉に、まだ無傷でいられない自分が情けない。
ぼーっと、その言葉を思い返す。声に出して言ってみたりもして、噛み締める。
どこに、そんな攻撃力があるのだろうか?
なんとなく答えが浮かんだ。
父は私に夢を見ていて、ありのままの私ではその夢は叶わないこと。
その事に、老いてもなお気づかないこと。
それが、悲しい。
孫が小学生になって辛い思いをするとか、
娘の夫が恥ずかしい思いをするとか、
そんなことは多分付け足しで、
実のところ父自身が、家事代行で働く娘を恥じている。
良い大学、良い会社、良い職業、育ちの良い男と結婚して、頭の良い子どもを育て、
そのうちメディアで取り上げられたり、有名な学術誌に名前が載ったり、
「お宅の娘さん、素晴らしいご活躍ですねぇ」
と褒められる事を夢見ているのだ。
世間知らずだった私は途中まで、その期待に応えようとしたけど、世間をわずかながら知った時、無理だと気づいて逃亡した。
そして、自分なりに社会とどう関わっていくか、模索している。
そういう娘の姿を見ても、まだ夢路線へ誘導しようとする。
それが悲しい。
老いるにつれ、悟るものだと思っていたけど、
そうもいかないのかもしれない。
筋肉と同じで、固い頭はどんどん固くなっていく。
良い反面教師として、
私は柔軟に、しなやかに、過ごそう。
自分を信じて。
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