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別れたら赤の他人

真夏の太陽が、スエ子の心を突き刺す。
年甲斐も無く、四十三回目の自分の誕生日を、ハート型に塗りつぶしていた事が虚しい。
今年も十歳下の凌と、過ごすとばかり思っていたのだ。
 凌と出逢ったのは七年前。父の急死の際に、葬儀屋でアルバイトしていた凌が、お世話係りをしてくれたのが始まりだ。スエ子を男手一つで育ててくれた父の突然の死は、言葉では言い表せない深い悲しみだった。そんなスエ子に優しい言葉をかけ続けてくれた凌の存在は、とても大きかった。
 葬儀が終わって何ヶ月か過ぎた頃、医者であるスエ子の診察室に凌がやってきたのだ。その時の偶然の再開は、運命としか思えなかった。
スエ子は、凌の全てを受け入れていった。ヒモのような関係性ではあったが、十歳下の凌に抱かれていると、何もかも許せた。
 ところが突然、凌が家を出ていくと言い出し、スエ子は、何度も理由を問い詰めてたも、答えてはくれなかった。
「若くないから?」
その一言だけは問えず、鏡に映る自分の顔の小皺をスエ子は呪った。

 月曜日の病院は患者でごった返していた。
「おはようございます」
爽やかに挨拶してきた看護師の沢屋みなみと出くわしが、挨拶を返さなかった。
凌と同い年の沢屋みなみは、輝いて見えた。
そして挨拶の変わりに、マニキュアを注意した。
「あっ、すみません」
スエ子は無視して診察室へ入った。
「先生、おはようございます」
心療内科の受付は、新人の川越だった。スエ子はここでも枯れたある花瓶の花を注意した。
「あっ、すみません」
スエ子は、なぜか腹が立ち
「それと、川越さん、香水はだめよ」
と、続けた。
「あの、先生、私、香水なんてしてません」
「返事は、はいでいいから」
と、スエ子は睨んだ。
凌がでていく事への憂さ晴らしのようで、ムシャクシャが止まらなかった。
そんなスエ子を気にすることもなく診療開始のアナウンスが院内に流れた。
「87番の方、中にどうぞ」
今日の診察立ちあい看護師は、沢屋みなみだった。
「駿河さん調子の方はどうですか」
「いやぁ、先生、さっぱり疲れがぬけなくて、まいってますよ。夏バテですかな」
「食事は取れてますか」
「そこそこですかね」
「血液検査を見る限り、肝臓数値は正常ですし、これといって気になるとこは見当たらないですね、もう少し今の薬で様子をみていましょう」
「先生これって年ですかな、70にもなると、あっちもね〜アハハハ」
スエ子は無視した。
「先生、今日は何となく、ピリピリしてないですか?いつもと感じ違いますよ、更年期にはまだ、早すぎでしょ、それともフラレたとか」
スエ子はイライラしながら、薬の処方をパソコン入力していた。みなみは立ちながら、駿河の話に笑いそうになり下を向いた。
「はい、おしゃべりはそこまで、次回の予約表もいれておきましたから」
「はいはい、ありがとうございました」
駿河は診察室を出ていった。
みなみが次の患者を呼びにいこうとすると
「悪いけど、立花さんと代わって」
「えっ、今日は私が当番です。」
「いいから代わりなさい!」
診察室は異様な空気になり、みなみは出ていき、立花というベテラン看護師が入ってきた。
スエ子は、自分よりずっと一回り年上の立花がはいってくると落ち着き、いつも通りに午前中の診療を終えた。
「立花さん、私、休憩室にいるから」
スエ子は診察室を出ると、追いかけるようにみなみがやってきた。
「先生、さっきはすみませんでした」
スエ子は目も合わせなかった。休憩室に入りソファに寄りかかった。凌から連絡ないかと携帯を持ち出した。
「あっ、凌だ」
スエ子は慌ててメールを確認した。
「荷物は今日中にだします。」
スエ子は愕然とした。
「何なの、これだけ、、、」
スエ子は、三十六歳から凌に捧げて七年が、こんな簡単な一言で終わるなんて信じられなかった。
「ふざけないでよ、、」
スエ子は、午後の診療を休み家へ向かった。 
「ただいま」
返事は無かった。恐る恐る下駄箱を開けた。
「無い…」
スエ子は何も考えられなかった。ゆっくりとリビングへ向かうと、テーブルに、置き手紙があることに気付いた。
「嫌いなわけじゃないから、色々ありがとうございました。ただ、スエ子と俺には子供はできないし、今のうちに別れた方がいいかなって」
「今のうちにって…」
その時凌から携帯が鳴った。
スエ子は電話に出るか悩んみ、出なかった。
「仕事中だね。最後のお願いがあるんだけど、自立する資金足りなくて、必ず返すから二十万俺の口座に振り込んでほしい。俺消えたから生活費浮くだろ。頼むね。」
スエ子は唖然とした。
「私はヒモじゃないから、バカにしないで、のたれ死ねばいいわよ」
スエ子は、二度と凌とは関わるものかと、アドレスを削除した。

 凌のいない生活は、想像以上に、寂しく辛いものだった。
「時間が解決する」
一日に何度、この言葉を繰り返しただろう。
医師としての知識も薬にはたたず、ひたすら忘れる努力をしていった。、環境変化が必要だと感じ、思い切ってジムへ通い始め、汗を流した。
そこのジムは院内関係の施設でもあり、医師達も多く、行きやすかった。
「スエ子先生じゃないですか」
「あっ、北村先生」
北村はあちこちから引っばりだこの外科医師だ。
「やっぱり運動は大事ですよね、疲れがぬけますからね」
スエ子は顔をタオルで拭いながら
「そうゆうものですか?私、筋肉痛で」
スエ子は久しぶりに笑った。
「騙されたと思って、続けてください、ますます綺麗になりますよ」
「お世辞うまいです」
「いや、スエ子先生、綺麗ですよ、みんな狙ってますから」
北村は笑った。スエ子は凌が去ってから久しぶり女性扱いされて嬉しかった。ジムの帰り、久しぶりにドラッグストアにより、美容クリームを買った。
ドラッグストアは凌とよく一緒に歩いた場所だ。
「あっ、これ」
凌がよく使シャンプーが特売だった。
スエ子は、未だに凌が心に住み着いていることが苦しかった。

 ある日のジムの帰り、ロビーにみなみが座っていて誰かを待っているようだった。
玄関へ向かい靴を履いていると向こうから男性がきた。
「凌…」
スエ子は慌てて下を向き靴紐を結び真似をした。
「みなみ、ごめん、待った」
「いま来たばっか」
凌はスエ子の脇を通り、みなみの隣に座った。スエ子は立ち上がるタイミングをまっていると静まりかえったロビーから二人の会話が聞こえた。
「凌、どうしたらいい、スエ子先生に話すべき」
スエ子はドキっとした。
「言わないくていいよ、あの人自己中だから」
「でも、、、お世話になったし」
「言わない方がいいって、いつだって自分が正しい人ださらさ」
スエ子は、みなみの結婚相手は凌だと確信した。
「そっか、なら言わない。それと結婚式だけど、お父さん病気大丈夫?」
スエ子は凌に父親の話など聞いた事もなかったから、聞き耳をたてた。
「式だけでもやろ!父さん余命宣告でてるしさ。
それより、無理言って二十万貸してくれて助かったよ。母さんも、もう、治療費キツくてさ。すぐに返すからな」
「いいよ〜、もう結婚するだし、赤ちゃんは、もう少ししないと妊娠してるか、はっきりしないんだって」
「どっちかなあ」
「どっちでもいいじゃん」
「そうだな」
スエ子は、シューズの紐を力一杯しめつけ、立ち上がった。
「なにが、赤ちゃんよ、みんな死んでしまえ」
そうつぶやき、ジムを出ていった。
 
 凌と別れてから六年の歳月が過ぎていた。
父の十三回忌がやってきて、どこの葬儀屋でも良かったが、足は自然と凌と出逢った思い出深い葬儀屋へ向かった。
「今、担当がまいりますので」
スエ子は、凌を忘れれなかった。
「すみません、お待たせしました、担当の菅野と申します」
スエ子は、いるはずのない凌を少し探しながら
、菅野と日時やお料理、引き出物など一通り決めた。
「では、お気をつけておかえりください。」
菅野に見送られ、駐車場へ向かう途中小型バスを洗車しながら従業員が何名か挨拶してきた。
「ありがとうございました」
「凌?」
スエ子は、ゆっくりと振り返った。
「凌」
スエ子は、嬉しさで、言葉にならなかった。
そこへ菅野が封筒をもって走ってきた。
「すみません〜奥菜さん〜、コピーお渡しするの忘れて」
そして凌に向かって
「お客様が通る時は、掃除の手を止めて」
と、注意した。
その時初めて凌と目が合った。
凌は忘れてしまったのか無表情だった。
「自分は、凌が気づかないほど、変わり果ててるのかも」
スエ子は、別れた時より更に老け込んでる自分が悲しかった。
「これって、まだ、好きな証拠なの」
スエ子は、何度も起きる運命のいたずらに翻弄された。

 十三回忌当日は晴れ渡り、天国から父さんがありがとうといってくれてるようだった。親類の人達がスエ子に何でも相談しなさいと、口々に言ってくれ一人っ子のスエ子にしたら、とても心強く嬉しかった。終りの時間となり、葬儀屋の送迎のバスが入ってきた。
ドアがあくと運転席から凌がやってきた。
スエ子は何も言わず乗り込んだ。運転する凌の背中を眺めていると
「スエちゃん、今度は結婚式で招待してちょうたわいよ」
と、冗談を言ってきて笑わせた。スエ子はチラッと凌の表情をみながら、片手を振った。
「ないない」
バスが葬儀屋駐車場に到着し、スエ子は最後に降りる格好になった。いや、最後に降りるようにしたのだった。
何かの奇跡を待っているのか、これが本当の本当の最後と自分自身に言い聞かせていた。
「ありがとうございました」
凌がスエ子に頭を下げ、運転席に向かおうとした瞬間
「凌、」
スエ子は思わず声をかけてしまった。
凌は振り返るだけで何も言わなかった。
「元気だった」
スエ子は、あたりさわりのない言葉を放った。凌は立ったままで、何も言わない。
「あっ、ごめんなさい、仕事中だもんね。じゃあ、また」
凌は軽い会釈をした。
「あのさ、別れた本当の理由って、、」
凌は一瞬嫌顔をし
「どうでも良くないですか、終わった事を」
と、言い残しバスへ向かっていった。

 スエ子は虚ろな気持ちで、家へ向かい出した。
車を走らせていると、交差点にさしかかり信号待ちになった。
隣の車から元気な男の声が聞こえる。
「パパ、おもちゃ買ってよ、パパってば」
「翔、静かにしなさい!パバは今は運転中でしょ」
どこかで聞き覚えのある女性の声。
スエ子は、ゆっくりと隣の車を見た。
「えっ、みなみさん…」
スエ子は目を疑った。」
そして運転手に目をやると、そこには病院を辞めた、北村外科医の姿があった。スエ子は夢でも見てるんじゃないかと思うほど、驚いた。
「こんなことってあるの…」
少し前に逢った凌の姿を思い出す。
そして最後に言った言葉を思い出した。
「どうでも良くないですか、終わった事って、それって、みなみとの関係の事だったのね…」 
スエ子は、自分の存在など、とうの昔に凌の記憶から消されていた事実に笑えた。
「別れたら、赤の他人なのよね、誰もが」
信号が青に変わり、スエ子は真っ直ぐ前を向き、アクセルを踏み込んだ。
スピードをどんどん加速させながら、スエ子は、太陽の沈んだ世界へ凌を葬った。

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