純白の空

ホームレスどおりに向かう時は心が裸だ。
晴明は、ビニールの家の前で足を止めた。
「おじさんいる」
「あぁ、」
「やっぱりいいや…」
晴明が背中を向けた時、おじさんが外へ出てきた。
「どうした坊や、今日も天気がいいなあ。ほれシュウ、おやつだ」
おじさんは犬もいないのに、シュウの為にドックフードを用意してくれている。
ガリガリとシュウの噛む音にかぶせるように晴明は尋ねた。
「末期癌って、やっぱり早く死ぬのかな…」
おじさんは質問には答えず、シュウの頭を撫でていた。
晴明は胸の奥にしまっていた不安を、やっと吐き出したのに不安は更に深まった。
「坊や、今の医学は発展してるそうだから、癌は治るらしい、心配するな」
笑いながら答えたおじさんの声を耳にすると、なぜだか目から涙がこぼれてきた。
「おい、坊や泣くな。お医者さんがちゃんと治してくれるから」
おじさんはビニールの家に戻りティッシュと袋をもってきた。
「ほら、家にかえるんだろ。鼻をかんで」
晴明は涙混じりの鼻をかんだ。
「それと坊や、これをもってけ」
差し出された袋は丈夫に紐で縛っていた。
「何これ?」
「おじさんの一番大切なものだ。願いが叶うぞ、落とすなよ」
おじさんはそう言いながら、手渡した。
「いいよ、おじさんの宝なんでしょ」
シュウが袋に鼻を付けだした。
「袋の中には卵が入ってるんだ、その卵を温めて孵化させたら、きっと願いが叶うからな」
「願いが、叶う…」
晴明は信じられなかった。
「今は卵をタオルでまいているから、家に帰ったら太陽があたる暖かい場所に置いてあげな。夜は箱にでもいれて坊やと一緒に寝たらいいよ」
「おじさん、願いが叶うって、ほんとなの」
「実はおじさんも、もらった卵だからはっきりは分からんが、おじさんより今は坊やの願いが優先だろ」
晴明はお母さんの事を思った。嘘でもいいからお母さんに助かって欲しかった。
「ありがとう、おじさん」
晴明はシュウと駆け出した。
おじさんは、ずっと手をふっていた。

家につくなり晴明は、おじさんに言われたとおり暖かな太陽の光のあたる部屋に卵を置いた。お母さんが末期癌だと医者から宣告されて以来、初めて窓から見える太陽が眩しかった。
「お母さんは、きっと助かる」
晴明を強い気持ちが駆け巡っていった。

それから二週間が経過する春休み最終日の朝、タオルにくるんで一緒に寝ていた卵に、異変を感じ晴明は目が覚めた。
ギヨギヨとみょうな音がし、タオルをそっと開いてみると、卵にヒビが入りだしていた。
「あっ、生まれる」
晴明は慌てた。
ギヨギヨ。ギヨギヨ。
卵がわれ、中の粘膜が破れ、緑色したイモリに似たような生き物がでてきた。
「この生き物、なんなんだろう」
晴明は興奮しながら顔を近づけた。すると
「お母さんの部屋へ連れていけ」
「しゃべった!!」
晴明は驚きのあまり箱を放り投げてしまった。
「痛い!何すんだ」
「君は話せるのか?」
その生き物は起き上がり
「君だけは聞こえるはずだよ」
「何でだよ」
「君が卵を受け取ったからだよ」
「さあ、早く。君のお母さんに案内してくれ」
晴明は、頭の中が混乱したまま煽られるようにお母さんの部屋へいった
「お母さん、おはよ」
部屋の中にはお父さんもいて、食事をテーブルに出していた。
「おはよう、どうしたの朝早くに」
晴明は、いきなり生き物をお母さんに見せると、驚いて病気に影響するんじゃないかと思い今朝までの話をした。
「おとぎ話みたいね。でも、何だか久しぶりに楽しそうな話だわ」
お母さんは少しだけ笑顔を見せた。
「つまり、そのタオルの中にもらってきた卵から生まれた生き物がいるわけだな」
「うん、嘘みたいな話だけど本当の話なんだよ」
二人は食事をテーブルの脇によけた。
お母さんとお父さんが箱を見つめる。
いよいよご対面の時だ。
「まあ、可愛いらしい」
お母さんはいつもよりカン高い声をあげた。
「なんだろな、これは」
お父さんも驚いている。
真っ白な毛のあるイモリに似たような生物。
「お父さん、そこの箪笥にの中にある花柄のタオルを取ってちょうだい」
「これか」
「違う、その下にある向日葵の柄の」
お母さんは、家に戻ってきてから初めて明るさを見せた。
「それそれ」
お母さんは生き物を向日葵柄のタオルで包み自分の枕元に並べた。
「神様からの贈り物かしら」
はしゃぐようなお母さんを見て、病気なんて嘘のように思えた。

次の日晴明は学校の図書室にいた。
卵から白毛の両生類や爬虫類なんて、どこにもいなかった。
「一体、なんなんだろう」
晴明は、帰りに卵をくれたおじさんによって手がかりを探って行こうと思った。
自転車をこいでいると黒ぽい服を着た人がぞろぞろ歩いていた。
「おじさん」
返事がない。
「おじさん」
少し大きな声で呼んだが、やはり出てこなかった。
どこかに出掛けてるのかなと思いながら自転車に乗ろうとした時
「坊や」
と、おじさんの声がした。
晴明はもう一度おじさんの家の前にいき、ビニール扉をあけてみた。
すると、中は空っぽでシュウにあげていた犬用のオヤツが入り口に置いてあった。
「やっぱり留守か」
晴明はそう思いながら家へ帰っていった。

「ただいま」
晴明は驚いた。
「お母さん、大丈夫なの、歩いたりして」
お母さんの手の中にはティッシュ箱があった。
「大丈夫よ、この子がベッドから落ちちゃって、ひっくり返ったままで、助けなきゃと思ってベッドから降りたの。そしたら普通に歩けると分かったのよ。この子のお陰だわ」
その生き物は箱から顔をひょっこりだし
「運動させなきゃな」
と、つぶやいた。
「この子といるとお母さん楽しくて、名前を決めてあげたいけど雄なのかしら」
晴明はお母さんが輝いて見えた。
「そんなの気にしなくていいんじゃない。お母さんが好きな名前にしたらいいよ」
「そう?だったら昨日から良いと思ってた名前があって」
「何て名前」
「デアイ」
「デアイ?」
「そう、この子は、ある日突然晴明と出会い、そんな晴明から手渡されて、お母さんやお父さんと出会ったから」
晴明はおじさんをふと思い出した。
「いい名前だね、おい、お前は今日から川上家の一員だ。川上デアイ」
デアイは白毛の隙間から晴明をチラっと見て
「いい名前だな」
と言った。

それからというもの、お母さんはみるみる元気になっていった。
余命なんて言葉は、嘘のように感じられ、毎日が楽しかった。
そして、そんなお母さんの検査の日がやってきた。お母さんはきちんと化粧をして、ワンピースを着ていた。
「晴明、行ってくるね。デアイの朝ごはん忘れないで食べさせてあげてね」
少し緊張してみえたが、以前とは別人だった。
「大丈夫だよ、ちゃんと食べさせてから学校に行くから」
「晴明は、すっかりデアイのお兄ちゃんになったみたいね」
晴明は照れ臭そうに笑った。
手をふるお母さんが、ずーっと元気でいてくれることを強く願って見送った。
「おい」
振り返るとデアイがいた。
「あっ、今ごはんやるよ、ちょっと待ってて」
「そんなことはいい。話がある」
「学校に行かなきゃないから手短にだよ」
「長い話じゃない」
「何」
「お前のお母さんは、この夏死ぬだろう」
晴明は息が止まった。
「お母さんは、みんなで行った動物の丘へ行きたいようだぞ。あまり暑くならないうちに連れてってやれ」
晴明は呆然とした。
「聞いてんのか、時間がないんだぞ」
「なんで、そんなことがわかるんだよ」
と、晴明はデアイを睨み付けた。
「そうなってる」
「何がだよ!なんで、そんな平気な顔して言えるんだよ、お母さん元気になってるじゃないか、勝手なこと言うなよ」
身体にみるみる熱がこもりだし、声が大きくなっていく。
「あ~、人間はこれだから困ったもんだ、皆、いつかは死ぬだろ。たまたまお前がホームレスに優しくしてくれてたから、卵をもらえたんだろ。でもなきゃ、あのホームレスは自分の延命の為に孵化させ、俺をそばに置いたさ」
晴明は何が何だかわからなかった。
「君はだれなんだよ」
デアイは目を丸くした。
「そうか、ホームレスのやつ、何も言わずに卵を渡したんだな」
「そうだよ、あのおじさんが、シュウの散歩の時、いつも優しくしてくれていて 、その日はお母さんが死ぬんじゃないかと不安一杯になってしまって、余命宣告されてる事を言ってしまって、、泣いてしまったんだ」
「あ~そうゆうことか、バカなホームレスだ。自分だって末期癌だったろ」
「えっ」
「あのホームレスは死んだ。俺は死神なんだ」
「死神…」
「そうだ、死神も色々あるんだ。卵からこんな妙な姿をして、人の死に際に幸せな時間をつくる仕事をしている俺もいれば、大きな鎌をもって罰を与えている奴もいる」
晴明は黙った。
「おい、お前ホームレスに感謝がたりないぞ」
晴明は、おじさんの笑顔を思い浮かべた。
「そうだな…デアイ、お母さんは、本当に夏に死ぬの」
「あぁ」
「信じられないな、凄い元気じゃん」
「そりゃそうだ、俺がそばにいるからな」
「じゃあ、デアイがずっとお母さんのそばにいてくれたらいいじゃん。お願いだから」
デアイは白毛から顔をだし
「そうはいかないさ、人には寿命ってものがあるんだよ」
「どうにかできないの」
「困ったなあ、じゃあ、お前が代わりに死ぬか」
晴明はドキッとした。
「そうだろ、嫌だろ。それでいいんだ。俺の仕事は、誰かの死ぬ前の最後の時間を幸せにしてあげることだ。お前のお母さんみたいな人は沢山いるんだ。」
晴明は涙をこぼしていた。
「さあ、学校へ行け。お母さんが心配するだろ」
晴明は力なく玄関に向かい靴を履いた。
「おい、笑え」
デアイの声が胸に染みる。
「こんな時に、笑えるかよ」
晴明は歯を食い縛り振り返った。
「デアイ、行ってきます」
「おぉ」
ドアの閉まる音が全てを知っているかのようだった。

彼岸花が秋風に揺れている。
最後に家族でいった動物の丘が見える場所に、お母さんは眠った。
「お父さん、これ」
「なんの手紙だ」
「お母さんからだよ」
「お母さんから、あずかっていたのか?」
晴明は首をふった。
「お母さんが亡くなる前の日の夜に、デアイから言伝をうけていたんだ」
「デアイは言葉を話せたのか」
晴明は頷いた。
「デアイが、お母さんの鏡台の引き出しに手紙があるはずだから、その手紙は墓参りに行った時に、お父さんに渡せって」
お父さんが静かに手紙を開いた。
うっすらとお母さんの懐かしい匂いがしたような気がして、晴明は目を閉じた。
「向日葵の便箋なんて、いつ買っていたんだろう」
「晴明、お母さん、手紙でお前にあやまってるぞ」
お父さんは二枚ばかりの手紙を読み終わり泣いていた。
「えっ何を」
「最後に動物の丘にみんなで行っただろう。あの時のお弁当おぼえてるか」
「もちろんだよ」
「お母さんな、本当は、お前の大好物の唐揚げを卵焼きの隣に入れたかったって書いてるよ」
晴明の心はふるえ泣いた。
「逢いたい、お母さん、もう一度だけでいいから逢いたい。
お母さん。お母さん。」

その時だった。
「おい、笑え」
デアイの声だった。
晴明は、まだすすり泣いているお父さんと手をとり力強く繋いだ。
「お父さん、帰ろ」
一歩一歩遠ざかるお母さんのお墓を背にしながら、一歩一歩進む先に、純白の空が広がっていた。

かしこ

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