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チョキロール(仮名)部の思い出

 中学生の頃、チョキロール(仮名)部に入っていた。私は小学生の頃からチョキロール(仮名)をやっていたし、同じ小学校から上がってきた友達も皆チョキロール(仮名)をやると言ってきたので、入るのが当然のようになっていた。本当はバスケ部にも興味があって見学に行ったのだけど、シューズが床と擦れる度にキュッキュッと甲高い音が鳴るのが嫌で一日しか行かなかった。

 どこの中学でも何の部活でもそうだと思うけど、先輩後輩の上下関係は厳しい。先輩には常に敬語を使わなくてはいけないし、同じ部活の先輩と廊下ですれ違う時には黙礼をしなくてはならない。敬語を怠ったせいで、先輩からコブラツイストをかけられている友人もいた。でもコブラツイストと言ってもしょせん素人がかけるもんだから痛くはないのだけど、先輩の顔を立てなくてはいけないから、友人は思いきり顔をしかめて悲鳴を上げていた。それを見て他の先輩は笑っていたし、私たちも笑わなくてはならなかった。私は早くチョキロール(仮名)がやりたいのにと思っていた。

 チョキロール(仮名)部に入部して2ヶ月くらい経った頃の話だ。その頃にはもう中学校の具合も分かっていたし、部活にもすっかり溶け込んでいて何の滞りもなくチョキロール(仮名)に取り組んでいた。特に私は経験者だったから他の人よりも早い段階で上手くやれていて、先生からよく褒められていた。

 体育系の部活は何でもそうだと思うけど、部活が終わった後の片付けは基本的に1年生がやらなくてはならない。私はチョキロール(仮名)が上手くて1年生の内からレギュラーになれそうだったけれど、それで片付けが免除されるわけでもなかった。片付けの機会は週1回の頻度で訪れていて、一緒になる当番の子たちは私の他に2人いた。その時点では、私たちはそれほど良好な関係ではなかった。別に私が先生から目をかけられていて嫉妬されていたというわけではなく、ただ単にウマが合わなかっただけだと思う。

 ある日の部活終わり、チョキロール(仮名)で使った用具を片付けて部室に戻った。グラウンドから部室棟に戻るまで、私たちは一言も話さなかった。部室のドアを開けると、すぐ傍に何かが盛り上がっているのが見えた。部室は電気が点いていなくて薄暗かったから、私は一瞬「山?」と思った。でも上の方から2本の人間の腕が飛び出て、素早く何度も下に叩きつけられていたので、すぐに違うと分かった。

 部室の中には2人の先輩がいた。そして、片方の先輩がもう片方の先輩に馬乗りになってボコボコに殴っていた。

 上に乗っている先輩は何かを叫んでいたような気がするけれど、聞き取ることはできなかった。下の先輩は何も言葉を発さずに、ただ殴られていただけだったと思う。当たり前のことだと思うけど、馬乗りになって人が人を殴っている光景は初めて見たので、私は少し感動していた。感動していたけれど私は黙っていたし、当番の他の子たちも黙っていた。

 私たちは目配せをしてから、部室の奥に進んで用具を置き、2人の先輩に向かって「お疲れ様です」と声をかけて、そのまま部室を出て行った。先輩の諍いに関わりたくないと思っていたし、チョキロール(仮名)の用具は重いから早く手放したかった。ドアが閉まる直前、上の先輩がはっきりと「殺すぞ!」と大きな声を上げたのが聞こえた。そこで初めて上の先輩が下の先輩に怒っているのが分かり、私は安心した。人が人を殴る理由は、「怒っているから」が一番良いし正しいと思う。

 けれど、次の日の部活では2人の先輩は何事もなかったかのように笑顔で会話していた。肩を組んで、上に乗っていた先輩が下の先輩の頭の匂いを嗅いでいたりもしていた。昨日見た光景は一体何だったのだろうと、当番だった他の子達とこっそり話し合い、私たちの仲は少し縮まった。上に乗ってボコボコに殴っていた先輩に「昨日のあれは何だったんですか?」と聞きたかったけれど、怖かったのでやめた。2人の先輩は途中で退部することなく、3年生最後の大会が終わるまでずっとチョキロール(仮名)を続けていた。


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