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言葉の外側にこぼれる何か

「旦那さんはどちらですか?」
こう聞かれると、「旦那ではなくパートナーです。」と小声で伝えたくなる自分がいる。

2021年冬、私は長女を出産した。
うちは、所謂事実婚というやつで、籍を入れていない。パートナーは、子を「認知」しているけれど、子は私の世帯に入っている。

男女の間に子どもができると、一般的に今の日本社会は、その男女を婚姻関係がある夫婦とみなし、子どもを含めて一世帯とみなす傾向がある。
なので、どこに行っても「旦那さん、奥さん」という関係になる。

「旦那 意味」で調べると、「妻が夫を呼ぶ語」以外にも、実は色々ある。落語でも幇間が「●●の旦那!」なんて呼びかけるセリフが出てきたな。

だから私に「旦那さんは~」と聞いてくる周りの人は全く間違いじゃないし、目くじらを立てて「旦那じゃないです。」と言いたいわけではない。けれど、目の前の男女の関係性だけを見て安易に「ご夫婦」と認定されると、その人の認知の外側にある存在がこぼれていく気がしてしまう。

子について、「女の子ですか?男の子ですか?」と聞かれるときも、そう。私はなんとなく、「現時点では女の子みたいです。」と言ってみたりする。
聞いている側は変な言い方する人だな、と思うんだろうな。

でも実際のところ、どういう性自認かは子に聞かないと分からないと思っているので、なかなか「女の子です」とスッと言えない自分がいる。


ここまで書くと、この人は全部の言葉についてこんなにネチネチ考えているのかと思われそうだが、全くそうではなく、「アフリカの人は~」とか「Z世代は~」とか時に乱暴にグルーピングをしたりもする。

ただ、自分なりに気づいた観点については、なるべく使う言葉に対して意識的でいたいと思う。このnoteでは、そういう「何気ない言葉」について気づいたことを整理していきたい。


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