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飲み会がないということ

コロナ禍で
それ以前ほど飲み会が気軽に開けなくなったというのは
どの業界でも同様だと思う

その弊害についての一考察が
今回のトピックだ

私なんぞは教師なもので(正確には3週間前に辞めた)
また特殊だと考えられる方もいらっしゃるかと存ずるが
運動会、遠足、研究授業、教育実習生の送別会、あいつ最近元気ないな飲みに連れてくか、などと
事あるごとに理由をつけて
打ち上げと銘打った飲み会を開いてきた

その飲み会がなくなった弊害は
とんでもなくでかい

まず
フィードバックの場がないのだ
現場でフィードバックすればよいのでは、
という意見はごもっともだが
職員室といういわば聖域での
本音のコミュニケーションは実は稀有なのである
ありのまま生きているという先生は希少で
もれなくそのような人材は浮いてしまう
というのが教師の世の常だ
私も然り

ただ
飲みの場でその壁は
いとも簡単に取り払われる

本音で語り合いたい!と飲み会に参加している人もあれば
語る気など毛頭なかったのに酒に溺れて語ってしまう人
はたまた酒の力を借りて本音ぶち込んでやろうと意気揚々と参加する人など
動機や結果は多種多様ではあるが
本音が行き交いやすい場であるのだ

実際
そこで得た知識や経験は計り知れない
思いもよらない方からの励ましの言葉や
一緒に戦ってきた仲間との労い合い
普段職場では喋らない人からの思いもよらない賛辞や
普段口を聞くこともできないような大御所からの
ソーシャルディスタンスなど無視の顔面3㎝でのありがたいお話のエンドレスリピート
などがそれに当たるが
それらを糧に
またそれらを励みに
そしてそれらを栄養に
仕事を続けてきたと言っても過言ではない

事実
飲み会の帰り道に
千鳥足で空を見上げながら
よしまた明日からがんばろう!
と声を出して叫んだ夜も数えきれないほどある
そして同じ数ほど
泣きながら帰った夜もあるのだ

共通するのは
どちらも仕事のモチベーションにつながっていた、
ということだ

しかし
我々はそれを失ってしまった

会議でどんないい立ち回りをしても
それが話題に上がったり
ましてや褒められる場など
今はない

研究授業をやり
討議会でオフィシャルのどんなありがたいお言葉をいただいても
その先生の個人的な考え方や
普段の学級経営や授業の進め方
何を大切にしているかといった
「イズム」に関する話にまで深掘りして話すこと聞くことなど
時間的にも場の空気的にも
不可能なのだ

それを得られるのが
アンオフィシャルな場
そう、飲み会だった

若手の頃毎週の様に参加した飲み会では
先輩方の間で管理職の悪口が飛び交っていた
右も左もわからない私は
「校長ええ人やけどなー嫌いじゃないけどなー」
とか思いながら聞いていたが
それもいわば「イズム」だ
学校全体に関わる仕事やもっとでかい仕事をする様になれば
その考え方も理解できるようになる
解す解さないはそれからの話だ
受け入れるか否かは自分が考えればいい
その考える素材を得る場所がない、ということが
問題なのである

いわば飲み会は
「考え方の共有の場」なのだ
その場を失った代償は
でかい

残業代も出ず
もはややりがいだけがモチベーションのこの仕事

飲み会を失った先生たちは同時に
「またがんばろう!」という気持ちを失った
若手教師は気づいていないかも知れないが
これからどう進んでいくかという
「指針」を感じる場を失っている

何がそれを補ってくれるのか
わからないまま
俺は教師人生の幕を下ろそうとしている

※これは退職直前の2月末日に酔っ払ってトイレの中で一気に書き上げたものであり、行き場がなかったので変なタイミングで投稿してみた。教師であった時の気持ちってすぐ忘れそうやから記しておこう、と言う本能的なものが働いたのかも知らない。「先生ってこんな感じのこと考えてるんや」くらいで読んでいただけたらと思う。
ただ、そこら中で言っているが、先生はほんまにええ仕事です。

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