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親知らず。

今日の天気は雨。

子どもを学校に送っていく途中、突然小学生に声をかけられた。

「あの、傘広げるの、手伝ってもらっていいですか?」

どうも、折りたたみ傘が上手く広げられなくて困っているようだ。

「いいですよ」

私は、彼に代わってその折りたたみ傘を開こうとした。たしかに固い。開ききる最後の方、ツメに引っ掛けるところまでかなりの力がいる。大人の私がぐっと引っ張って何とか開くことができた。

「あ、ありがとうございます!」
「いえ、こちらこそ。」

この出来事に遭遇した後、隣にいた私の長女と話しながらふといろいろなことを考えた。

私「なぜあの子は自分の力で開けられない折りたたみ傘を使っているのだろうね。」
長女「今日、たまたまだったんじゃない?私はボタン1つでシューって開く傘を使ってるよ」

おー、なるほどジャンプ傘は子どものためにあったのか、と今更ながら気がつく。

ここからは勝手な想像。自分の子どもにも、もしかしたら知らないところで親が用意したモノで苦労をしていないか?と。

実は買ってあげた靴が履きづらかったり、お土産で買ってきたえんぴつが硬くて書きづらかったり。

そういえば、子どもから「これ、使いづらい」とか「やだー」と言われるともう間髪入れずに、

「せっかく買ったんだから、ちゃんと使ってねー」

なんて心無い言葉をかけてた自分を反省。
そこは、「えー、どうして?どこが使いづらいの?」

と、ちゃんと耳を傾けてどもの主張を真摯に受け止める人になりたいと思う。

逆は真ならずといえども、これはどうも「親の心子知らず」ではなく「子の心親知らず」だな。

雨降りの出来事からそんなことを考えた日でした。

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