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書籍紹介『「ごめんね」から「ありがとう」へ 地域で学ぶ盲児の物語』

『「ごめんね」から「ありがとう」へ  地域で学ぶ盲児の物語(奈良 里紗)』という本の紹介です。

視覚に障がいのある子どもがどこで学ぶのがいいのか

就学前の段階は、①幼稚園・保育園・子ども園か②盲学校(視覚特別支援学校)幼稚部があります。盲学校によっては幼稚部がないないところや親子教室のようなものを開催されているところもあります。

小学校・中学校段階になると、①通常の学級、②通級による指導、③弱視特別支援学級、④盲学校の選択肢があります。以下に詳細の説明を引用します。

1.盲学校
 視覚障害のある児童生徒の中で視力障害の程度などが比較的重度の場合は、盲学校で教育を受けることになります。平成14年度に改正された学校教育法施行令の就学基準によれば、盲学校対象となるのは、「両眼の視力がおおむね0.3未満のもの又は視力以外の視機能障害が高度のもののうち、拡大鏡等の使用によっても通常の文字、図形等の視覚による認識が不可能又は著しく困難な程度のもの」とされています。
 したがって、盲学校において教育課程を編成する場合は、保有する視力を最大限に活用すること、触覚や聴覚など、視覚に代わる感覚を有効に活用することを十分に踏まえることが前提となります。
また、近年、盲学校においては在籍する児童生徒の障害の重度・重複化、多様化が進んでいることから、教育課程の編成に当たっては、下学年適用の特例や自立活動を主とした指導を行うことができる特例を有効に活用しながら、児童生徒一人一人に応じた教育課程を編成し、実施していくことが大切です。

2.弱視特別支援学級
 弱視特別支援学級は、視覚障害の程度が「拡大鏡の使用によっても通常の文字、図形等の視覚による認識が困難な程度のもの」とされており、特別支援学校(視覚障害)と比較して軽度な児童生徒を対象として小学校や中学校において特別に編制された学級です。
 このため、弱視特別支援学級における教育課程の編成は、原則として小学校や中学校と同様に行われます。
 しかし、弱視特別支援学級は、児童生徒の視覚障害の実態に即して少人数の学級編制を行うとともに、児童生徒一人一人の視覚障害の状態や特性等に応じて具体的な目標を設定し、適切な指導事項を選定するなど、特別な配慮や工夫をしながら、教科指導などを行っていく必要があります。また、児童生徒の障害や特性等から特に必要がある場合には、特別の教育課程を編成することができるようになっています。実際には、盲学校小学部・中学部学習指導要領を参考にして教育課程が編成されています。

3.通級による指導(弱視)
 通級による指導(弱視)の対象者は、「拡大鏡等の使用によっても通常の文字、図形等の視覚による認識が困難な程度の者で、通常の学級での学習におおむね参加でき、一部特別な指導を必要とするもの」と規定されており、当該の児童生徒は各教科等の大半の指導を通常の学級で受けています。したがって、教育課程の編成に当たっては、基本的には小学校及び中学校の学習指導要領によることとなっています。
 ただし、その場合、小・中学校の教育課程に加えて、又はその一部に替えて、障害に応じた特別の指導を行うことから、弱視特別支援学級と同様に特別の教育課程によることができるとされています。

4.通常の学級に在籍する視覚障害児の指導
 平成16年度に文部科学省が実施した実態調査によると、全国の小・中学校には約1,700人の弱視の児童生徒(通級による指導の対象児童生徒を含む。)が在籍していると報告されています。この数は全国の弱視特別支援学級の全在籍児童生徒数の6倍以上の数値であり、小・中学校に在籍している弱視の児童生徒がいかに多いかが分かります。
 しかし、これらの児童生徒は、視覚障害に伴う特別な配慮を受けていない場合も多く、その大半は自立活動の指導も受けていません。
 したがって、自立活動にかかわる指導等に関しては、定期的に盲学校や弱視特別支援学級等の支援を受けながら、通常の学級において学習を続けていくことのできる技能や態度を身に付けていくことが必要です。
(視覚障害に応じた教育課程の編成より)

僕は10年間の思い入れがあるので、盲学校に肩入れしてしまいそうになるのですが、地域で学ぶこと、盲学校で学ぶことの違いが、地域で学ぶ側の視点から眺めることができる本でした。

盲学校で学ぶのか通常の学校で学ぶのか

盲学校がどんなところかは以前に記事で紹介しました。点字、ルーペや単眼鏡などの弱視レンズ、歩行、運動など、視覚障がいの専門性のある教育や適切な配慮受けられること、同じ視覚に障がいのある人と出会えることなどがメリットです。反面、大抵は都道府県に1校で、子どもたちの数が少なく、地域との距離が離れているかもしれません。盲学校を出た先の社会で、それまでの環境とのギャップに戸惑ってしまうかもしれません。

通常学校で学ぶ場合は、通常の学級で学ぶか(通級による支援や巡回指導などを受けるかどうかも含まれます)、弱視学級で学ぶかという選択肢があります。東京都など弱視通級指導教室の指導システムが確立されているところもありますし、弱視学級を設置しようにも専門性のある教員がいないという場合もあるのが現状です。しかし、盲学校ではあり得ないほどの大人数との関わりや地域で共に過ごす友だちとの繋がりなどを得ることができます。

どちらが正解だというのはないと思います。

地域の学校で学んだもののその場にいるだけで授業の内容が身についておらず、授業についていけなくなったので盲学校にやってきた子もいますし(そんな子たちには早くから盲学校で学んでいれば…と思うこともあります)、盲学校で学んで点字や歩行などの基礎基本を身につけてから地域の学校へ進学した子も(卒業しても頑張っている様子や大変なことを報告してくれました)、定期的に盲学校への来校や巡回を受けながらずっと地域の学校で学び優秀な成績で大学へ進学した子もいます(実際に大学進学者の割合でいうと盲学校よりも通常高校に在籍する子の方が多いのです)。僕は実際にどのケースの子にも関わったことがあります。

その子の実態や福祉制度(かつては拡大や点字の教科書が保障されていませんでした)、家庭、ボランティアさんのバックアップなどによっても変わってくるのでしょう。どちらにもメリットとデメリットがありますし、なにを大切にするのかによります。ただ、後から変更することも可能なので、他の選択肢を考えることもひとつだと思います。

やっとこの本の話です

前置きが非常に長くなりましたが、やっとこの本の話です。

この本は愛知県下ではじめて、点字で読み書きをしながら、地域の小学校・中学校・高校に通われた母と子の対談という形式になっています。

読み進めると、お母さんの「この子を普通に育てる!」という強い決意と努力と娘さんへのスパルタぶりをひしひしと感じます。地域の小学校へ進学するために盲学校支援を断った経緯も、今はそんなことはないだろうと思うのですが、難しいものを感じます。

小学校に入ってからの点字指導には、ボランティアさんに関わりがあったのでほっとしてしまいました。熱意を持つことの大変さとその怖さについて考えることがあるので…。歩行についてもかなり無茶だなぁという印象がある一方で、盲学校や視覚障がい施設で歩行訓練を受けていない方が「とりあえず歩いてみればいいんですよ」と言われていたのを思い出して、こんなものなのかなぁとも思います。その辺りは盲学校と地域の学校で感覚が違うのかもしれません。

高校での遠泳大会や吹奏楽部の話を聞くと、視覚障がいのある生徒ではなく、一人の生徒として扱われることの大切さがよくわかります。

その先生から、「お前は何でそんなにいつもごめんねばかり言っているんだ?もっと、周囲に対して、ありがとうをいうべきだ」という話をされました。そこから、学年全体で「ありがとう」を言おうみたいな指導が始まりました。そして、私個人に対しても、先生から頻繁に、「ありがとうをちゃんと言わないといけない」とか、「困っているときはちゃんと周囲の人にお願いをしないといけない」等と、よく声をかけられるようになりました。「目が見えないからといって、周囲の人に遠慮することはない」、「自分を卑下するような態度をとる必要はない」などと、その先生は体育の先生だったので、厳しい感じの先生だったのですが、私に対しても、色々と気づいたことを言ってくれました。「とにかく、ごめんね、ごめんねばかり言っていないで、もっと、前に出て話せ」と、よく言われたものです。このような先生の指導をきっかけに、自分でも、「ありがとう」ということが大切なのだなと気づきました。

お母さんの熱意というか使命感もすごく印象に残ります。

でも、最初に地域の学校で、普通に育てたいと思ったのは、意地とかではなくて、最終的に、この子は社会の中で生きていくのだから、育つプロセスにおいても、地域の子どもたちと一緒に育てたいと思いました。人と人との距離感であったり、会話をするときにどうやって空気を読むのかということであったり、絶対に小さいうちから健常の子どもたちの中に入って学んだほうがよいと思っていました。

そして言われるように、そういった社会性のスキルなんかは通常学校で多くの同年代の子どもたちと過ごす中で身につく面もあると思います。

まとめ

最後にこの本でとても印象に残った部分を引用します。

ある盲学校の先生に、「私は全く視覚障害に関する専門性はないので、やっぱりどこかのタイミングで盲学校の教育を受けさせたほうがよいのでしょうか」と相談したことがありました。すると、その盲学校の先生は、「人間が完成する時期というのがあると思うの。今は、地域の学校にいって社会性を磨いていて、そのかわり、視覚障害児に特化した指導を受けられないから専門的な部分はどうしても欠落してしまうよね。でも、スキルはみんなそれぞれデコボコなものだから、時間をかけて、帳尻があうようにできると思うの。今は大勢の子どもたちの中で過ごす中でしか習得できないことを学べているのだと思うし、いつの日か、専門的なことを学ぶ時期もくるでしょうから、そんなに、焦らなくても大丈夫だと思いますよ、お母さん」と、おっしゃってくださいました。そのときの、私にはこの言葉がやけに腑に落ちたのです。

盲学校で学ぶのも、地域の学校で学ぶのも、現状ではそれぞれにメリット・デメリットがあります。もしかしたら将来は例えばイギリスなどの外国のように夏休みなどの期間を利用して視覚障がいセンターのようなところで専門的な内容を学びつつ、通常の学校で学ぶといったようなことになるのかもしれませんが。

それでも、誰にでもデコボコがあって当たり前というこの言葉には、たとえどの道を選んだとしても後悔してしまいそうになる自分を励ましてくれるように感じます。

選択に正解があるわけではなく、なにに重きを置くのかということなのでしょうね。そして、学ぶ場所の選択は終わっても、その先もその子の道は続いていくのですから。

そんなことを考えさせられた本でした。

著者の奈良 里紗さんは、視覚障がい者ライフサポート機構 viwaの理事としてホームページ上で、また書籍やnoteでさまざまな情報を発信されています。

この記事についても紹介していただきました。こんなふうにお返しいただけるとはありがたい限りです。


参考にしたサイト

1.全国小・中学校弱視特別支援学級及び 弱視通級指導教室設置校及び実態調査(平成29年度) 研究成果報告書(国立特別支援教育研究所)

2.視覚障害に応じた教育課程の編成(国立特別支援教育研究所)

3.ひまわり学級(弱視)(江戸川区立小岩小学校)

表紙の画像はAmazon.co.jpより引用しました。