悲しき人類の定め(は?)

食欲。それはあらゆる生命が「生きる」ために必要とし、他の生命を殺して食することを欲する事。食事は活動エネルギー、つまりカロリーを生み出し、生きとし生けるものの肉体を維持、継続するとともに、脳みその満足感と呼ばれる物質を生成することによりそれを完了とする。この満足感を別の方法で生成することが出来るのであれば、食事をすることなく食欲を満たすことは可能なのでは無いだろうか。食欲を無駄と感じる人、食するということに興味のない人は、それの代わりとなるものを求める傾向にある。そのものの例としてタバコを挙げる。タバコから発生するニコチンを、ニコチン受動態をかえしドーパミンに変換することによって、食欲からくる食事を成功させたという本能的なものから来るドーパミンに置換できる可能性があるのではないか。その一心から、食事よりも手軽で、簡単にそのドーパミンを摂取することが可能なタバコを手に取り、火をつけ、吸い込む。これは大いに道理であると言えよう。最初はそれでいい。でも人はそんなに簡単なものでは無い。その手軽さ、簡単さから、本来ドーパミンが有する成功からくる「満たされる」という感覚は薄れ、薄れた事に気づかず、足りなくなったものを補填するかのようにその量を増やす。これに人は名前を付け、依存と呼ぶようになる。ここから証明されるに、食欲は人が「生きる」ことにおいて絶対不可欠なものである。それ故に、人間三大欲求の一角をになっているとも言えるのであろう。つまるところ、食事は必要であり、食さない事には何も始まらない。ここまで適当なことを書き連ね最終的に何が言いたいのかと言うと・・・・・・








お腹空いた。

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