第三話 見事に落ちる音がした

ピピピピ。ピピピピ。

目覚まし時計の音がこだまする。これがぼくの朝のはじまりの合図。
眠い。眠すぎる。あと5分。あと5分眠らせてくれ目覚まし時計。そんな願いなんて届くはずもなく、一向に鳴り止まない目覚まし時計を止める。微睡む余地もなく、眠たい体にムチを打って体を起こす。
何を言おう、目が覚めてから家を出るまでの時間は10分もない。まず歯を磨く。次に寝癖を治す。その勢いでスーツに着替え、家を出る。もちろん朝ご飯を食べてる暇なんてない。なんならコンビニに寄る時間なんてもっと無い。

ふぁ〜。扉を開け、開口一番欠伸をかます。実に眠い。今日は特にである。
昨日の事は思い出したくない。勢いよく飲んだ彼女を背負い、家の場所を告げずに背中で寝た彼女が目を覚ましたのは、あれから1時間後のことである。
ようやく起きた彼女は

「あんた何やってんの!? 早く下ろしなさいよ!!」

と、顔を真っ赤にしてぼくの背中から飛び降りた。その後軽く背中にパンチを食らった。
はぁ〜、まったくついてない。急に連れていかれた飲み屋でさんざん飲んで、座り込む彼女を背負い、眠ってしまった彼女が起きるまでの待ちぼうけ。さらには背中にパンチ。そのせいでしっかり寝不足である。

そんな事を考えながらも、自転車をぶっ飛ばし、何とか今日は間に合った。

 デスクにつき黙々と仕事を始める。それにしたって減らない。こなせどこなせど増えるばかりの書類の山。何をこんなにやる事があるのか。やってる自分もあんまり理解してないんだから困りものだ。

しかし今日は眠い。昼休みに少し寝るしかないな。と思いつつも、あと3時間はある午前中の仕事をこなすのは至難の業。だが、卒業して4年働くぼくにはこの程度ちょちょいのちょい。デスクワーク故に許されたガムを噛み、ブルーライトカットのメガネをかければスイッチがはいる。いわゆるゾーンだ。このゾーンに入ってしまえば3時間なんてたやすい。いくら御託を並べようと、遠い事に変わりはない昼休みを目標に、午前中の仕事を片付けるのだった。

そうこうして昼休み。ようやく片付いた仕事を横目に、昼飯を食う体力もないぼくは、勢いよく机に突っ伏した。
意識が飛んだか飛んでないかくらいの瀬戸際、ほっぺに何かを感じる。うわぁ、何だこのムカつく感じ。学生以来の果てしなく嫌いなこの感覚。そんな嫌悪感を抱きながらも、軽く顔を上げ薄目を開ける。
そこに居たのは、意外にも昨日の彼女だった。

「あ、あの。昨日はありがとう。また迷惑かけちゃったわね。あの、その、それだけなんだけど」

えーなにそれかわいい。
それだけの為にぼくのデスクまで来て寝ていたぼくのほっぺをつん、か。悪くない、とても悪くない。昨日のことを忘れてしまいそうだ。
いやいや落ち着け。忘れるわけにはいかない。ベロベロによってるのに背中で爆睡したんだぞ?
その上パンチまで食らったんだ。忘れてたまるか。嫌な顔で腕の中に顔を埋め直す。もう居なくなったと思っていたつかの間

「じ、実はね、本当はそれだけじゃなくて。あの、その」

え、なに? なに言ってんの? そんな赤面で。
22年童貞のぼくに、そんな分かりやすい照れ方をするのは、冬眠の季節だけど寝床掘るの面倒くさすぎてその辺で寝ちゃったクマみたいに無防備なんだけど大丈夫?

「お詫びと言ってはなんだけど・・・。お、お弁当! 作ってきたの! ・・・食べない?」

は?
ぼくの思考はフリーズした。エロ動画を見ようと思って動画を開こうとした時に、うっかり踏んじゃった埋め込みのトロイの木馬が発動したパソコン並にピタッと。
そんな愕然とした顔を見た彼女の赤面は、さらに真っ赤になる。いやいやいや、お弁当? 急すぎない? いやまぁ昨日の居酒屋もよっぽどだったんだけど、お弁当ってそりゃもう急にも程がある。出会って2日目だぞ? そりゃまぁ会社の同僚だし知らなかったのはぼくだけかもしらんけどさ。これまで彼女なんていたこと無かったぼくですら気づくよ? むしろそういうのには敏感な方だよ?

「もう! たべるの! たべないの!」

いや食べます。もちろん食べます。たった今眠気さんがログアウトしました。
 朝、コンビニにも寄れないぼくの昼休みはいつも買い物から始まる。眠過ぎてそれどころでは無い今日、飯なんかそっちのけで寝ようとしていたぼくには、彼女のお弁当は神からの贈り物と言っても過言ではない。ぼくは彼女に連れられて、そのお弁当を食べに食堂へ向かった。

 食堂につき、適当な席に座る。入社当時のぼくには、この食堂で女の人と向かい合って座るなんてことは想像もつかなかっただろう。

「はいどーぞ。味はあんまり期待しないでね。私こう見えてあんまり料理得意じゃないから」

かわいいかわいいかわいい。入社当時どころの話ではない。ぼくが生きてきた22年で初の体験。なるほどぉ。みんなこうして落ちるのか。いやぁ素晴らしい。
それじゃあ、とお弁当を受け取り、いざ、ご開帳。

な、なんだこれは・・・。

お弁当の半分を占める米の白さ。もう半分にはその白さとは対極的な赤。もう見事な赤のたこさんウィンナーが3つ。その隣には綺麗に巻かれた卵焼きが2つ。その下に敷かれたレタスの綺麗な緑と白のコントラストが、ぼくの目には神々しすぎる。
高校を出て、一人暮らしを初めてからはや4年。こんな素敵なお弁当を見たのは、おかんの以来。いや、おかんのですらこんなにキラキラしたお弁当ではなかった。

「何をそんなに眺めてるの? 恥ずかしいから早く食べなさいよ。ばか」

いただきます。いただきますとも。
しっかり手を合わせ深々とお辞儀をし、箸を取る。まずはたこさんウィンナーから。

はむっ。もぐもぐ。ごくん。

あぁ優しい。なんだろう、とても優しい味がする。そこらへんに売ってるウィンナーなんだろうけど、女の子が切れ込みを入れて焼くだけでどうしてこんなにも優しい味になるのか。思わず頬が緩む。わからん。わからんがこの際もうそんなことはどーでもいい。

「はぁ。あんたってホントにわかりやすいわね。どうしてそうも易々と顔に感情が出せるのかしら」

いやいやいや、ぼくが悪いんじゃない。何が悪いかといえば、そう。この弁当を生み出した君だ。それは絶対に揺るがぬ事実。
いやそれはいい。次は米、米だ。ウィンナーの味が口に残るこのタイミングで米をほおばらなくて何が日本人だ。この日本の宝を最高に美味しく食べられるチャンスは今しかない。真っ白の平原に箸を移し、その隅を綺麗に切り取り口に入れる。

なん・・・ だと・・・?

きっとその辺のスーパーで買ったであろうそのごく普通の米は、絶妙なやわらかさで炊かれ、今まさにぼくの口の中で華麗に踊っている。一体全体どうしてこんなにも美味いのか。これは昨日、道端で似つかわしくないパンチを放ったあの、小さくて可憐な手で研がれない限り産まれないのではないか?

このべた褒め具合に我ながら引きつつも、箸は卵焼きに吸い込まれていく。卵の黄色といい具合に付いた焦げ目、そのコントラストが美しすぎる卵焼きをひと口齧る。

わぁ。幸せだなぁ。

どこのニワトリが産んだかも分からない卵に、主張の強すぎないだしの香りがふわっと鼻に香る。うっま。もうほんとに美味いなこの卵焼き。

「あ、それ、スーパーで買ったやつなんだけど、結構気に入ってるのよね。そんなに美味しい?」

げふっ、げふんげふん。
聞いた瞬間のどをつまらせ激しく咳き込む。

「わわっ! 大丈夫? 今お水取ってくるね!」

そうか、そうなのか。これを作ってくれた工場の機械達、ありがとう。作り手が誰であれ、美味いことに変わりはない。
それにしても、彩りのセンスってのは大事なんだろうな。自分じゃ全く思いつかないけど、やっぱり食べ物ってのは視覚でも味わうもんなんだなとつくづく感じてしまった。

「お待たせ、はいお水。私はいつもこれで十分なんだけど、男の子にはちょっともの足りないかな」

なにをおっしゃいますか。こんなに美味しいんですから量なんて二の次ですよ。お水まで持ってきて頂いてもうほんとに何もかもありがとうございます。


ここの会社に勤めて4年。初めてのその幸せなお昼は、いつもよりそこはかとなく短く感じたのだった。

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