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ある教室のある風景2

 ユウヤは勉強が苦手である。音読はたどたどしいし、四則計算もままならない。母子家庭ならぬ父子家庭で、さらに父親は仕事が忙しいのか家庭にはほとんどいないので、ユウヤの面倒は父方の祖母が見ていた。この祖母も大雑把な性格であり、ユウヤの宿題を見てあげることもなく、身の回りの世話もあまりしていない様子で、ユウヤは宿題をしてくることも少なく、でも、忘れ物は毎日山のようにしてきた。

 僕は、クラスで読書通帳なる教育実践をしてみることにした。これは、子どもたちに読書習慣を付けてもらうことを期待した実践である。銀行の預金通帳のようなものを用意して、子どもたちにくばる。子どもたちは、この読書通帳に「読んだ本の題名・読んだ日付・ページ数」を記入していく。

 そして、この読書通帳の最大の魅力は「ページ数を貯金していく」ということである。200ページと300ページの本を読めば、それは合算して500ページという数になる。読めば読むほどこの数は増えていくことになるので、子どもたちは預金通帳にお金を預けるかのごとく、読書に励むことを期待しているのである。

 読書習慣と学力との関係は様々なところで取り上げられている。私達も感覚的に両者が関係していることはよくわかる。しかし、これが「相関関係」なのか「因果関係」なのかの特定は容易ではない。つまり「本を読めば学力が上がるのか」それとも「学力が高い子がたまたま本を読んでいるのか」は現状わからないのだ。しかし、子どもたちに読書習慣を付けさせるというのは、教育関係者のほとんどから出る悲願でもあるので、読書通帳のような実践は雨後の筍のごとく登場する。

 かくして、僕のクラスでも読書通帳は始まった。子どもたちは、個人差はあるものの、概ね以前よりも読書に意欲的に取り組む児童が増えたような気がする。しかし、これは良し悪しである。当たり前だが、この実践は「読書量」だけしか可視化されない。しかも、「読んだ」の定義も曖昧である。ページを「めくるだけ」でもページ数を記入することはできる。ページ数を増やしたい子は、ただただ分厚い本を選んで、休み時間に必死にめくっていることもあるようで、その様子を見たクラスで真面目な子がわざわざ僕に報告へ来てくれたりもした。

 さて、ユウヤも例にもれず「読書通帳に熱心」になっていた。ユウヤは、流行りが好きである。しかし、彼は読書が苦手である。音読はたどたどしい。音読がたどたどしいということは、黙読も得意では無い子が多い。黙読は「声に出さない音読」だからである。つまり、音読がたどたどしい子の多くは、文章を目で追って把握することが苦手なのだ。

 ユウヤは普段の図書の時間でも文字数の少ない「絵本」を借りていた。それは別に悪いことではない。読めない本を借りて、読まないままよりは、自分の読書力にあった本を選ぶほうがよほど良い。しかし、絵本はどうしてもページ数が少ない。これでは読書通帳のページ数が一向に増えない。

 ユウヤはハマった以上は、ページ数を増やしたいと思う。ある日、クラスで一番の読書家の女の子が「ハリー・ポッター」を読んだとみんなの前で発表した。そのページ数はゆうに200ページを超える。これを読むことができれば、彼の通帳の預金額ならぬページ数は一気に増える。彼は意を決して、図書の時間にハリー・ポッターを借りることにしたみたいだ。図書は金曜日の最後の時間である。借りた本はそのまま週末に持って帰ることになる。

 「ユウヤ、頑張って読んでおいで!」
 「おう!」

 週明け、彼の読書通帳には「ハリー・ポッター ○月△日 200ページ」と書いてあった。しかし、クラスの子たちは疑っている。それもそうであろう。国語の教科書でさえ、たどたどしく読み、図書の時間に絵本ばかり読んでいるユウヤが、いきなりハリー・ポッターを読破したと言えば、「読書通帳の水増し」を疑うのも自然である。こちらとしても、疑いたくはないものの、これを見逃してしまえば読書通帳の存続が危ぶまれてしまう。読んでいない本を通帳に記帳できるとなれば、その信用は地に落ちてしまう。

 「ユウヤ、ハリー・ポッターはおもしろかったかな?」
 「おう、とってもおもしろかった!」
 「いくつか、ハリー・ポッターについて質問してもいいかな?」
 「おう、いいぜ!」

 こちらとしては、クラスの子どもたちのユウヤへの疑念を払拭しつつ、ユウヤの名誉も守りたい。そもそも本を読んだとして、その本の内容が完全に頭に入っていないということはよくあることである。僕だって集中せずに読んでしまった本の内容がすっぽり抜け落ちていて、二回目を読むことになった本はいくつもある。読んだが内容が頭に入っていないことは不思議ではないのだ。
 ここでユウヤにハリー・ポッターに関する簡単な質問をすることで、ユウヤがハリー・ポッターを読んだことを証明したことにすればいいのだ。僕はここまで考えた上で、ユウヤへの質問を考えた。

 「ユウヤ、質問ね。ハリー・ポッターの主人公は誰だっけ?」

 我ながら、良い質問が思いついたものだ。答えが問題文に含まれている。外しようがないのだ。これで、彼の名誉は守られたはずであった。しかし、ユウヤは、「えーと、忘れちゃった」と答えたのである。残念ながら、これではユウヤの200ページを認めるわけにはいかない。僕は泣く泣く、ユウヤの読書通帳のハリー・ポッターの欄に赤線を入れて、「もう一回読んだら、また教えてね」と言って、ユウヤに読書通帳を返した。