フス戦争解説⑦

プラハ救援

フス戦争解説⑦

プラハ救援

1420年4月から5月にかけ、ボヘミア王国にはヨーロッパ中から招集された十字軍の兵士が集結しはじめていました。

十字軍は多方面から様々な国の部隊が参加しており、それらの最終目的地は首都プラハでした。
ボヘミア各地のフス派の領地は順次制圧され、あるいは無血開城や降伏を迫られて行きます。

着々と十字軍によるプラハ包囲網が迫る中、フス派の拠点ターボル近辺でも動きがありました。

スドミェルの戦いに勝利したフス派軍において、戦死したブジェネクに代わりヤン・ジシュカを始めとした、新たなリーダーを4人選定し、組織の再編をします。

その中で、ジシュカはすぐに行動を開始します。
先のスドミェルの戦いでほぼ無傷だったクトナーホラの軍勢に対し、追撃を仕掛けたのです。

クトナーホラ軍は自領への帰還の途中にあり、4月初旬の時点ではヴォジツェという街に陣を敷いていました。

クトナーホラ軍はそこで他の地方からのカトリック勢力と合流し、プラハ包囲のための十字軍に参加する予定でした。

ところが、クトナーホラ軍の陣地はジシュカの夜襲を受けます。

ヴォジツェの街は焼かれ、クトナーホラ軍のほとんどが討ち取られたか、捕虜にされたと言います。
そしてジシュカは、馬や鎧などの武具を大量に略奪してターボルに帰還しました。


1420年の4月の時点でのフス派の拠点は、首都プラハの新市街と、南ボヘミア地区にあるターボルと、東ボヘミア地区にあるフラデツ・クラーロヴェーとなっていました。

しかしそれら3都市の勢力は微妙に思想を違えており、いわゆる穏健派と武闘派とが離れた都市に住み分けることによって衝突を避けていた、という背景がありました。
ですので、同じフス派の看板を掲げてはいるものの、各都市のフス派はそれぞれ個別の団体として機能していたのです。

ジシュカが指揮するターボル軍は、十字軍によるプラハ包囲を阻止するためにゲリラ戦術を展開し、プラハ南側の十字軍の侵攻を遅らせていました。
しかしその一方で、5月には東地区のフラデツ・クラーロヴェーが十字軍に降伏し、次いで首都プラハでも、王宮摂政のチェニェックがプラハ城を十字軍に明け渡してしまいます。

プラハの包囲はほぼ確実のものとなり、新市街に閉じ込められたフス派の人々は、ターボルに救援を要請しました。

ターボル軍はゲリラ戦をやめ、プラハ救援に向けての軍を送ることにしました。
ミクラーシュ・フシネツというターボルのリーダーの1人がまず突破口を開き、ターボルからプラハへの一時的な突入経路を確保します。

そこからすぐさまジシュカがプラハに入り、そこで戦闘の指揮を執ることになりました。

ジシュカがプラハに入って間もなく、今度はターボルそのものがカトリック軍に包囲されたとの知らせが届いたため、経路を守備していたミクラーシュ・フシネツの部隊がターボル救援へと戻ります。

それによりプラハとターボルを繋ぐルートは再び分断され、プラハの包囲はさらに厳しくなるのでした。

「包囲」とは、都市への物資の流通を止め、都市内部の市民を飢えさせることが目的のひとつとなります。
武力で制圧すると街の破壊が避けられないため、制圧後の復旧に莫大なコストが発生します。飢えさせて降伏を促し、無傷で都市を手に入れるというのが包囲の最終目的となります。

十字軍を招集したローマ王ジギスムントは、プラハを無傷で手に入れたいと考えていました。
よって、攻城のための兵器や火砲も稼働はさせず、各司令官にも都市への攻撃の禁止令が出されていたのです。

しかし、十字軍に参加した諸侯の多くはそれに不満を持っていました。
彼らはローマ帝国の圧力で強制的に参戦させられており、参戦しても褒美や領地が貰えるわけでもありませんでした。
ならば都市を攻撃する際に、市民の財産を略奪しても良いという許可ぐらいは貰わないと、戦争に参加する利益が何も無くなってしまいます。

貴族諸侯らにとって、戦争は貴重な経済活動でもありました。勝てば莫大な利益が待っているからこそ、貴族らは命を懸けてまでも戦争に情熱を捧げることができたのです。

ところが、このプラハ包囲戦は、参加しても何の得にもなりません。参加しないと反逆者と思われるため、しぶしぶ招集に応じて来たという諸侯がほとんどでした。

ですので、ジシュカが夜な夜なプラハを出て、ちょっと離れた丘の上に小さな要塞を建造していることに、包囲軍は気付くことがありませんでした。(気づいても、要塞としてはあまりに小さな建造物なので、ナメていたのかもしれません。それだけ十字軍にはやる気がなかったということでしょう。)

ジシュカが建造したのは、戦闘馬車の荷車の部分をもっと大きくしたような、丸太で建てた四角い小屋でした。
その周りには騎馬の侵入を防ぐための掘も備えてあります。

丘の名はヴィートコフ。26名の守備兵と、世話係の女性3名がそこに配属されました。

この小さなヴィートコフ要塞が、やがて10万の十字軍を壊走させることになろうとは。


次回は、そのヴィートコフでの戦闘について解説しようと思います。

フス戦争解説⑦〜終


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