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「奇跡って自分で起こせるんじゃね?」思い付きがもたらした奇跡のからくり?

祖母の奇跡、祖父の奇跡

マリベルはいつも礼拝堂で神様に祈りをささげている。マリベルの孫、マリオは祖母の祈りを見て、

「おばあちゃん、奇跡ってあると思う?」
「あるよ、ほら、今ここに」

マリオは首を傾げた。

「マリオと話をしてる。奇跡じゃないか」
「ええ、意味わかんない。だって当たり前じゃん」
「それだよ、それ」

マリベルはマリオに視線を合わせた。

「私はいつ召されてもおかしくない年齢だ。今こうしてマリオと話ができていること。それは奇跡なんだよ」

マリオは納得できなかった。

あれから何十年。

「じいちゃん」
孫のマリアがマリオの後ろに現れた。

「いっつも神様の像を見てるね」
「そりゃ、いろいろ思い出すからなあ。今一つ思い出したんだよ」
「へえ、何?」

マリオはマリベルとの話を語った。

「この年になると、死んだおばあちゃんの言ってた意味がよくわかる。俺はいつ死んでもおかしくない年齢だ。今こうしてマリアと話ができること、本当に奇跡なんだ」

マリオはいろいろあった。愛する妻の死、己にふりかかった病気・事故。いつ死んでもおかしくなかった。体も衰えているし、忘れものもひどくなっている気がする。

他にもあった。不景気で仕事がなくなったとき、一家を何とかしなければならないと思ったとき、神に祈った。

奇跡は起きなかった

しかし生きている。めちゃくちゃ周りに迷惑もかけた。それでも生きている。マリオは悟る。

ああ、奇跡ってこれだ……。

「おじいちゃん、どうやったら奇跡を起こせるの?」
「寿命がくるまで、ずっと生き続けるんだ。奇跡を実感できるよ」

「実感じゃなくて、起こし方は?」
「わからないさ、だから奇跡じゃないか」

マリアは首をかしげた。

大ピンチの隙間に現れるチャンス!

あなたは奇跡を信じているか?

奇跡は基本「ピンチの時こそ現れるチャンス」だ。

ピンチになっても一向に現れない状態もあれば、ふと何かの拍子で現れるときもある。

何かの拍子で現れた奇跡が起きたとき、次も奇跡に頼ろうとする。自分の力じゃどうあがいても無理な状況ほど、奇跡に頼ろうと考える。

奇跡が起きないと逆恨み×痛い目に合う。

痛い目にあった後、実は奇跡が起きている。
痛い目にあっても「生きている」から。

年を取るほど、自分の寿命をむしばむ要因が次々現れる。たいてい痛い想いをするし、満足いかない解決にたどり着く。人によって生活レベルが落ちるかもしれない。

それでも死なないで生きている。危険な状態でも、何とか生きて過ごしている。僕からすると奇跡だ。

とはいえ、僕たちが求める軌跡はこっちじゃない。

「自分の願望-目標が現実になればいいなあ」

願望達成という名の奇跡だ。
今、あなたは生きてこの記事を読んでいる。
あなたも奇跡を実感できる機会がある!

一緒にやってみよう。

タイムワープだ!

奇跡が起きる仕組みはわからない
僕も数多くのピンチとチャンスを味わっているが、なぜチャンスが起きたのか、今でも全くわからない。

あなたも過去にあった奇跡をいくつか思い浮かべてほしい。
ここから一つ、一緒にやっていこう。

今のあなたから過去を見てみよう。

過去、僕たちは何かしらの大ピンチに苦しんでもがいていた。

今の僕たちは過去に起きたピンチを乗り越えて、ここにいる。

今の僕たちは過去の己に対して、言える。

「大丈夫、その問題は解決できたから」

今のあなたに焦点を合わせてみよう。
今、あなたが何かしらのピンチにてんてこまいな状態だとしたら……やはり奇跡を望む。

未来のあなたに焦点を合わせてみよう。僕たちが1年後も生きている前提で記す。

1年後も相変わらず解決しないままか。
あるいは解決した状態でいるか。

解決した状態なら今のあなたに向けて言う言葉は一つだ。

大丈夫、その問題は解決できるから

ここだ、ここが問題だ。

今の自分は「未来の自分」が言った言葉を信じるか?

「いやいやいや、そんなチャンスが来る気配すらないんだよ。信じろと言われても無理だよ」

あなたはどうだろう。
過去のありとあらゆるピンチを味わった僕ですら、現在の自分が置かれているいくつかのピンチにて、

未来の自分が「そのピンチ、必ず解決するから問題ないよ」言ったところで、未来を実際に歩んでいないからわからないわけだ。

そう、ここで問われる覚悟は一つ。

現在から見て未達成でしかない未来の自分を信じるか?

神様ではない。占い師でもない。

未来の「ピンチを解決した時間帯にいる自分」の言葉に従えるか。

仮に「従う」なら、何をもって従ったといえるのか?

二つがわかれば、どんな人生だろうと奇跡は起きるべくして起きるのでないか。

どうすればわかるか。実験実践しかない。

実践の前に言語化しなければならぬ言葉がある。

何をもって「信じる」と言えるのか?

今の自分から見て、過去の問題はすでに解決している。
過去起きた問題は今の自分にとって、思い出すのに時間はかかれど、解ける問題だ。

解ける問題だ。だから困ったと思う気持ちはあれど、不安にはならぬ。解けるのだから。かつて解いたのだから

「信じる」は相手・未来の展開にゆだねる割合と捉えれば、0に近いほど信じられず心は落ち着いていられないが、1に近いほど「訪れるべくして訪れる」ので、堂々としていられる。

未来の自分の言葉は、今の自分から捉えると「ホラ」でしかない。今の自分は未来の自分に対する言葉に対し

  1. 来るかどうかわからないと不安を抱くか

  2. 来るべくしてくるから堂々としていられるか

2番目の気持ちでいると「信じる」に変わる。

そこで僕たちがすべきことは「未来の自分の発言に対し、堂々としている」わかる。

「できないかも・来るのかなあ」でない。
「来てしまった」だけだ。

何このエラー?どうしたら……

早速プログラミングにおける一つの問題が起きた。

セーブプログラムを作っているとき、どうしても一か所だけエラーが出てしまった。どうやっても解決できない。

そこで「解決した自分」を置いた

「解決した未来」を先において、現在の自分は解決した状態を先取りした。

すると、自分はプログラムから一度離れて、紙とペンを取り、今起きている問題をがりがり書いた。

書いた後、プログラム一つ一つの動きを観察した。
やっと原因がわかった。原因さえわかれば解決は簡単だ。

かくして奇跡は起きた。「解決した未来」において動いているから、その通りの未来が訪れた。

ただ「自分一人」しかかかわっていない。
例えば「他人との介入」では、奇跡が起きないのか

他人の介入までを考えると、傲慢に行きつくのか。
軌跡は自分一人のみに存在するのか?

次へ続く。

PS:スイカゲームをやった。スイカゲームは奇跡を体験できるパズルゲームだ。

最近話題なのでやってみた。遠い果物同士がころころ転がり、ぶつかって「大きな果物」に変わる。ゲームで体験できる奇跡や!


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