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"わざと"撲滅委員会発動

ある企画を立てた。企画をこなすための知識を持っている。
行動もしている、きちんと成果が出るはずだ……

なぜだ、なぜ一向に成果が出ないんだ(怒)

なんで俺だけ、私だけでない?
ちゃんとやってるはずなのに、この通りでうまくいくはずなのに!

私の何がいけなくて、いい成果が出ない!?

周りに聞く、アドバイスをいただく。
その通りに実行したのに、うまくいかない。

わ、私だけ?

そんな苦しみを克服する方法がとうとうわかった。
意外なところに原因があり、わかってしまえば解決策も簡単だと。


◇なぜ誰の言葉も解決策につながらないのか?

すでにあなたが知っているからだ。
知っているだけでなく気づいてもいる。

本当にわからない場合は必ずわかるように導かれる。

書店に行ったら……ふと、気になる一冊があった。

ネットでなーんか気になる記事があった。
こんな時にこんな人と出会った。話を聞いた……

風呂やトイレでなんか気づいたぞ!

こんな体験、何回か味わっていないだろうか?

わからないときは必ずわかってくれる存在が現れる。

一方、どれだけ解決につながる出会いや言葉があっても、
一向に良くならない原因はただ一つ。

「わざと」やらないよう自分を止めているからだ。


◇人生の迷路とゴールの条件

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10あるうち、たった1つだけ自分にとって嫌、
できるだけやりたくない、一番避けたいものがあった。

他人にとっては普通にできる1であっても、
あなただけにとっては一番避けたい1つの作業。

※上記図なら桃色で覆われた部分が「1」にあたる。
例:●●さんに連絡を取る、少し過激な文章を書く……

たった1をやれば新しい出会い、扉、展開になるのに、

「どうすれば、やりたくないことだけを回避して目標達成できるか?」

無意識にやりたくないことだけを排除し、気軽にできることのみ選ぶ。

達成には絶対避けては通れない1を避けてしまうから、
知識はある、行動もしているのに成果が全く出ない。

「絶対避けられない1をやればいいじゃん。簡単じゃん!」

他人だからこそ言えるしツッコめるが、
本人だけは絶対に嫌だし恐ろしいと感じてしまう。


◇自分のすべてを支配する「生活習慣」

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人はみんな周りとの関係で独自の規則に基づいて生きている。
独自の規則にそって、あれはいい、これはだめと決める

例えば豚肉を平気で食べる人もいれば、
宗教や健康その他の理由から食べられない人もいる。

独自の規則が続くと生活習慣になる。

ダイエットにて、僕は毎朝野菜ジュースとコーヒーだけで過ごしている。
大学時代から始めた。最初は少しきつかったが、だんだん慣れてきた。
今では朝に固形物をとらなくなってしまった。

朝からパンを食べる人から見ると、
「きちんと食べないといけない」思うだろう。

相手と僕は互いに規則を作り生きている。
なので僕が朝から固形物をとると「嫌だ」と心は考えるし、

同じように朝食べる人がいきなり野菜ジュースだけにすると、
「できればこんな生活をしたくない」と捉える。


◇生活習慣を変えたくないから「わざと」やらない

知識もあり行動もしているのに成果が出ない大きな原因は、
生活習慣を大きく変えてしまい、今までの生活を送れなくなるところだ。

今までの生活が居心地の悪いものであれ、よいものであれ、
生活習慣を変えた後に生じる「未知の展開」に比べると優しい。

何より自分で決めて考えて動く生活を送れるので、
考えもつかない展開がやってくると、どっと疲れる。

もしかすると自分にとって嫌な展開鹿来ないかもしれない。
それなら現状がどーであれ、今のママを続けたほうがいい。

今を大きく変える出来事はやらないし、
もしやろうとしたら、何が何でも止める、突っ走らない!

何が何でも止める、突っ走らない意識こそ、
「わざと」の正体
であり、ブレーキの役目を担っている。


◇"ワザと"を外せばお先真っ暗ではない状態へ

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知識もある、行動もしている、だけど想定もしない結果が生じると、生活が変わってしまう。今まで仲良く接してくれた人が離れていってしまう、別れてしまう、知らん人から叩かれる、馬鹿にされる、レッテルを貼られてしまう、面倒くさい日々が始まる、やりたくないことも増えてしまう……

それなら今のほうが全然いいじゃん。たとえ今がピンチだらけの生活を送っているとはいえ、想定外の結果に行くと、めちゃくちゃ面倒くさいわ、いきなり叩かれるし、逆恨みされるし、危険だらけだよ。

だから変わるのやめよう、変わるとしてもここまでにしよ。

自分で越えられない壁を作り、同じところを常にぐるぐる回る。

「わざと」自分が目標を達成しないように動いている。
本当は早く目標を達成し、予想もしない生活を歩みたいのに!

行きたい場所と現実をいつまでもさまよっているなあ~と感じるから、
夜も満足に練らないほど苦しく、頭を抱えてしまう。

一つ尋ねたい。
どちらかといえば、僕と似たような生活(変えたいのに変わらない日々にイライラを募らせている)を送っているかな~日々思うだろうか?

僕が実際、いつまでも同じ、いや、少しずつ衰退していく生活を送り、
「なんでこうなるんだ」問いかけながら生きていた。

「わざと自分でそうなるよう、生きていたのか」

※先日会いに来たコンサルタント曰く、
「アドラー心理学」本に書いてあったらしいんだと。

気づいたら、いかに生きていけば「わざと」を外し、
すいすいと理想を越える生活を送れるのか?

反対に「わざと」が起きる状態と、
「わざと」が消えるために、どういう生活を送ればいいか?

考え方を変えていった。すると身近なところに答えがあった。


◇毎日の学習が「わざと」を減らす

潜在意識及び生活習慣は変化を嫌い、継続を好む。

そこで少しずつ変化を起こしていけば、
継続へとつながり、やりたくない1の事柄においても、
平気な面でやれるんじゃないか
と、僕は考えた。

ポイントは少しずつ変化させることだ。

いきなりやるから拒否したくなるのであり、
少しずつやっていけば、あるとき何も考えずやる決断がつく。

少しずつ変えている手段として現在、僕がしていること
毎日の学習にあった。


◇勉強を楽しくやるために必要な考え

あなたにとって勉強は楽しいと感じるか、辛いと思うか?
他にどんな印象を抱くか?

僕は……楽しいのかもしれない、時に苦しく投げ出すときもある。

どんな時、勉強が楽しくてやめられなくなるか。
反対にどういう状態だと、投げ出したくなるか?

勉強が楽しいと感じるときはわからないことを知るよりも、
わかっていることをさらに深く知るときだ。

一方わからないことばかりを知るとき、勉強は辛いと感じる。

もしかしたらあなたから見ると「反対じゃないの」思うかもしれない。

わかっていることは大まかに意味をつかんでいる。
大まかだからこそ「より深く調べる余裕」もあり、
調べていくうちに「へえ~」感動を生じる。

一方わからないことを調べるとき、
まずわからないことを頭に入れるだけで精一杯であり、
「へえ、こんな使い方もあるのか」感動なめったに起きない。

ついていくだけで大変なのに、次々わからん言葉や単語が入ってくると
「ああ、もうやってらんね~」ついにやる気をなくす。

もしここまで読んで、勉強に関するトラウマを思い出したら、
少し深呼吸してこの後も読んでくれると嬉しい。


◇ノルマなし+学習法が理想を飛び越える鍵

ノルマがあると僕にとっては苦役になってしまう。
理想へ向かう時も、ノルマを乗り越えなければならないと感じると、だんだん辛い気持ちになって、僕はとうとうあきらめてしまう。

「辛いことをから逃げんなよ」思う一方で、
「でも体がかゆくなったり、夜も寝られないほど辛いんだよ。
それでも逃げちゃダメだというのか」

悲鳴を上げて逃げてしまう自分もいる。

僕は英語を学んでいる。英語を学ばざるを得ない理由はない。
学んだほうが幅広く表現できるよね。

教養としてやっている。だから続いている。

「わざと」はノルマから逃げるために生じているのかもしれない。

思ったとき、僕は一つの企画を立ち上げた。


◇わざと撲滅委員会◇

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前からコンセプトだけは決めていた。

どうあがいても理想を越えられない。
いつも同じ現実にとどまっている。抜け出したいのに抜け出せられない。

どうあがいても無理なのか?

もし理想を簡単に飛び越える現実の送り方という作品があるなら、
くわえて高い確率でぶち抜けられるなら、僕は知りたい聞きたい、
そして実践して高い望みへたどり着きたい!

今の自分に対する解決手法を作りたくて
=自分の悩みを満たした作品を作りたくて、
あれこれ考察、気づき、行動をとりながら生きていた。

結果、日々していることの一つ=勉強に答えがあったのだ!


◇わざと撲滅委員会ですること

わざと撲滅委員会でする行動は

1:わざとやってないんだと認識

2:楽しい学習法に基づき「面白さ」を引き出す

3:勉強を習慣化させて「勝手に」やる

大きく見ると3つ。

まずは認識だ。「あ、私、わざとやってないだけなんだ」
やりたくないからやらないのではない。

本当にやりたくない部分はそもそも関心すら抱かない。
興味はもちろん、情報として入ってすらこない。

苦手と感じる部分はすべて関心を抱いている分野だ。
得意も苦手も「先入観」がもととなっており、

「あ、自分は得意なんだ」と感じれば得意に、
「苦手だな」感じれば苦手意識を持つだけ。

自分であれもこれも決めつけているのであり、
「あれもこれも決めつける自分=わざと行っている」

まずは「ああ、何でもかんでも自分で決めつけているのか」
悟る、気づく、感じる段階が必要だ。

次に日々の習慣を変えるために、少しずつ知識を知り、使いこなさなくちゃならない。勉強はまさに知識を知り、使いこなしていくための手段だ。

社会人にとって勉強は受験のためではない。

受験(志望校合格や資格を得る、昇進する)勉強は
「いかに乗り越えるか」のみに焦点が当たる。

「この言葉にこんな意味、使い方があったなんて」

緩やかに感動を味わう暇などなく、
ノルマに満ちて、できるならやりたくねえ~と感じてしまう。

「ここにこんな意味があったのか。何気なく使っているこれには、こういう狙いがあったのか。こういう風に使ったら、面白くなりそうだ」

楽しいと感じる勉強法にそって毎日、1分でもいいから続けていく。
楽しさを感じるようになれば、誰からも指摘されていないのに勝手に調べるようになる。

この段階になると、だんだん「わざと」という意識が外れていくようになる。もちろん新しい企画をこなすとき「恐れ」はたくさん生じるよ。

「恐れ」なくやれるなら最高だよ。
楽しいやり方で勉強して行くうちに、恐れよりも「試したい」意識が働くようになり、気が付けばやってしまっている。

恐れさん、どこにいたの?

気づいて初めて「ああ、やってしまったんだなあ」とわかる。

「恐れ」がいつの間にかいなくなり「楽しいこと」をやっていたら、何かしらん内に現実が理想を越えていました!

新しい生活に対し、どちらかえといえば「面白そうだなあ」と思うだろうか。やっぱり「怖い」とたじろいでしまうだろうか。


◇わざとがない新しい世界へ

本当はこうなりたい、こうなって当然なのに、現実はどうだ。
正反対、最も望んでない状態ばかりじゃないか。

自分じゃもうどうしようもない。解決策も全く浮かばない……

「自分がこうなりたいと口で言いながら、
わざとこうならないように動いている」
としたら?

環境や他人が原因はあると思う。
だけどどんな環境にいようとも、チャンスを得る人は得る

結局「自分がうまくいかないよう、わざとうまくいかないように生きている」だけであり、もしうまくいってしまったら、自分ばかり叩かれるし、不幸な展開を味わい、未来の自分がただ苦しむだけかもしれない……現在も苦しいのに!

いらん心配事に気づいてしまうばかりか、
「楽しい習慣」として送っていないから、やる気もなくなる。

自分をいつまでも露頭に迷わせる「わざと」を消していけば、
勝手に物事を進めていくし、どんな結果だろうと次につながるし、
何より生じた結果に飛躍のカギが眠っている。

常に楽しい展開のみ生じる。

自分の中にある「わざと」を撲滅していくため、
僕は「わざと撲滅委員会」を立ち上げた。

面白いと思ったらぜひ、参加してほしい。
参加方法は簡単。

あなたの中で「これ、わざとだよな」
口に出し、一つずつ潰していけばいい。

今日からあなたも僕も「わざと撲滅委員」だ。


◇追記~やっぱり恐ろしい

僕はわざと撲滅委員会に楽しさを抱く一方、恐れも抱いている。
確実に自分の生き方、今後の生き方を変えていくからだ。

確実だからこそ、今までの生活には戻れない。
いい部分もある一方、予想もしないクレームや不幸な展開他、
受け取りたくないものもたくさん生じる。

あなたが何かしらの企画を立てて遂行しているときも同じだ。

あなたにとって「これはいい」と思った展開が生じる一方、
「いやあ、これはどちらかといえば嫌だなあ」避けたい展開も生じる。

ふと自分を思い返してみた。
避けたい展開はたくさん生じているが、今こうして生きている事実

そして避けたい展開を正面から受け取った結果、
問題を片づけて心が強くなったという実感

恐ろしい!と感じている存在は目先で捉える自分自身のみ。

数週間前の自分のために作った作品が出来上がりつつあるよ。

支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます