見出し画像

9割の声なきorか弱い声の「感謝」VS1割未満の声大き「罵倒」:今すぐ意識すべき9割のか弱き声とは

今日はツイートを載せる。インスタグラムにある画像をストーリーとして載せたとき、お世話になってるフォロワーとやり取りをしていた。

彼とやり取りをしていると、彼に取って喜ぶし、自分にとっても喜ぶ絵がぱっと浮かんだ。完成図が一気に浮かんだというか。

それまで「うーん、うーん」と悩んでいたのに。

僕は今、ある作品の紹介において、ステップメールに手を出している。ステップメールを書くのが辛いなと思っていたんだけど、この件で大きく気づかされた。

「自分にとっても面白く楽しい、読者にもちゃんと情報を伝えて面白く楽しい」ものを提供すればいいんだなと。

簡単だけど、自分はもちろん「相手の喜ぶ顔」も想像したほうがいいんだなと。相手によっては怒る人もいるかもしんないけど(実際であったし)、

9割は喜び、1割はクレームを入れる。


僕をはじめ多くの人は1割に目を向けがちだけど、声を出さないで静かに楽しむ、お礼を述べる9割に意識を向けるべきなんだなと思った。

昨日、ゆうがたパラダイス水曜日担当、津野さんが突然亡くなった。まさかの自殺だとは……かなりショックだった。

色々調べていくと、津野さんが体調不良だと知り、色々自分を追い込んだんだなと想像できる。で、津野さんにはご冥福を(まだ生きてると自分の中で思っているから、祈りたくはないが)

津野さんが亡くなってから、僕を含めて多くの人、著名人、業界人がご冥福とお礼のコメントを出した。楽曲提供という形でお世話になった人とかも。

彼女の音楽に救われたり、ありがとうという気持ちを持っている人はたくさんいる。もちろんごく一部は彼女の楽曲に対して「傷ついた(一方的に、これが大きなポイント)」人もいるだろう。

僕たちの耳にすごく入りやすい意見は9割のありがとうより、1割の「傷ついた」という意見だ。自分をむしばみ、積極的に取り入れてしまう声は9割の感謝よりも1割の悲しみだ。

1割ばかりに目を向けるから(向けたくないのに、それでも奴らは強い勢力だから)、どんどん気分が滅入ってしまう。本当に目を向けるのは、自分の耳にほとんど入ってこない9割の声であり、9割の声こそ「自分が喜び、相手も喜ぶ」ものじゃないかと確信している。

1割の声もちゃんと分岐しなきゃいけないよ。ただの批判と罵詈雑言を分けなきゃいけないからね。

9割の「ありがとう(特に表に出ていない)」へ積極的に意識する、感じ取る訓練、僕はしたほうがいいんだなと、インスタでのやり取りや津野さんへの感謝ツイートを通し、強く確信した。

今ここを読んでいるあなたはどうだろう。誰からも感謝なんてないかもしれない。じゃあ、言っていいですか。

画像1

ここを読んでるあなたよ、本当にお仕事お疲れ様です、そしていつもありがとうございます。本当に、ありがとう。


これじゃあ気休め程度にしかならないだろうか?




支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます