あなたの天職がわかる"二つ"の掛け算
まさかこの掛け算とはな、技術じゃねえぜ。
現在、ゲームを作っている。敵が主人公を攻撃する。必要なプログラムとして
主人公と敵の間合い判定
間合いに入ったら敵が攻撃
攻撃を終えたらちょっと休みを与える
主人公と敵の間合いが離れていたら、敵は歩き、間合いがそのままなら攻撃を継続させる
この処理に2日費やした。思った通りに行かない。
一つのミスが新たな初歩ミスをやらかし、初歩ミスの対応に時間をとられる。なんとかなおし、ふっとひらめき、再び試行錯誤し、やっとなんとか目的のプログラムが働く。
2日かかって敵の動きを作ったとき、気づいた。
ああ、天職ってこれかあ。今の自分の生き方そのものか。
それは……
天職 = 執念 × 内面の具現化
執念は「つまづくことが多くても、その分野に関して無知で知識がなくても、何が何でも思っていることを形にしてやる!」あきらめの悪さを示す。
あきらめたり、別に形にしなくてもいいやと思うものは天職でない。「何が何でも」な執念が「私」を動かす。
執念があるから無知な分野でも独学し、一定の技術を身に着けて、達成のために取り組められる。
執念だけでは足りないものがある。
「誰かにのみやらされている感じ」だ。
自分から進んで行う状態=主体性。
主体性は「頭の中に描いている夢を形にしたい」思いから生まれる。
僕の場合はゲームだ。「タレントの●●さんに、こういうドラマに出てほしい」他人を使って自分があれこれしたいという思いもあるだろう。
「私の天職は〇〇という形で人を救うこと」思っている場合、〇〇(仕事)を通して人を救っている自分に酔いしれているのであり、酔いしれている自分こそ「自分の中にある世界観・想いを形にして生きている」状態だ。
僕のゲームも「プレイヤーが笑いながら、萌えながらやってもらう」ところに価値を置いているため、救うという意味では同じだ。
自分の思いを形にするため、どんな邪魔や困難、失敗や障害があろうとも「何が何でも達成させてやる」姿勢こそ、天職と確信した。
なお辞書によると「天から授かった務め、自分の性質にあった職業」と書いてある。
プレイヤー(noteだと記事を書いているとき)としてはもちろん、鑑賞者(noteだと他人の記事を読んでいるとき)としても面白い要素があると、最高の力を発揮する。
あなたにとって「これを形(現実)にするなら、どんな困難があろうとも、乗り越えるし、何が何でも形にしてやる」作業は何だろうか。
支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます