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早世したロシアンビューティ、ナタリー・ウッド

皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。


7月20日は、アメリカの女優、ナタリー・ウッドが生まれた日。(1938年7月20日 - 1981年11月29日)

カリフォルニア州サンフランシスコ出身。

ロシア革命によりアメリカに逃れてきた両親より生まれる。

妹も女優で、『007 ダイヤモンドは永遠に』に
ボンドガールとして出演したラナ・ウッド。

1943年から映画に出演しはじめ、
シャーリー・テンプルの次の世代の子役として人気を博す。

そこからはトントン拍子にスター女優に。が、性的暴力の餌食に。相手はハリウッド・スター、カーク・ダグラス。

それが尾を引き、どんな男性と付き合っても不信感を拭えず、相手を心から信頼できなかった。

ジェームズ・ディーン、
レイモンド・バー、
エルヴィス・プレスリー、
デニス・ホッパーら多くの有名スターと浮き名を流した。

3度の結婚。そのうち2回は、ロバート・ワグナー。

1981年11月29日、映画の撮影中に、不審死。
享年43歳。

ロバート・ワグナーは、不審死の際の重要参考人としてマークされていた。

代表作は、
『理由なき反抗』(1955年)
『草原の輝き』(1960年)
『ウエスト・サイド物語』(1960年)。

若さゆえに悲しい結末を迎える恋人たちを演じた
『草原の輝き』の中の一節、W・ワーズワースの詩。

若くして亡くなったナタリーの姿に重なります。

”Though nothing can bring back the hour
Of splendour in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind...”

"かって輝かしかりしもの、
今やわが眼より永えに消え失せたりとも、
草には光輝、花には栄光ある
時代を取りかえすこと能わずとてもなにかせん。
われらは悲しまず、むしろ
後に残れるものに力を見出さん。"

W・ワーズワース『草原の輝き』の中の一節


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