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音の魔術師の創造と苦難の旅〜モーリス・ラヴェル〜

3月7日は音の魔術師と言われたフランスの作曲家、モーリス・ラヴェルが生まれた日。(1875年3月7日 - 1937年12月28日)

『亡き王女のためのパヴァーヌ』やバレエ音楽『ダフニスとクロエ』『ボレロ』の作曲、『展覧会の絵』のオーケストレーションで知られる。

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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【生い立ち】

フランス領バスク地方のシブールで生まれる。

母マリー・ドルアールはバスク人、父ジョゼフはスイス出身の発明家兼実業家だった。

父ジョゼフは子どもの頃から音楽にも非常に興味を持つ人、そして母マリはとても献身的な妻であり、モーリスを心より慈しみ、愛した。生涯独身だったモーリスにとって、母の愛こそ音楽を創る根源だった。

革新的な音楽家だったため、紆余曲折あったが、39歳までの時期、

『古風なメヌエット』
『亡き王女のためのパヴァーヌ』
『水の戯れ』
『ソナチネ』
『メヌエット嬰ハ短調』などの傑作を生み出した。

【人生の転機】

が、第一次世界大戦勃発後、フランスを愛するあまり、40歳でパイロットとして志願したが、体重が規定に「2キログラム」満たなかったことからトラック輸送兵として兵籍登録された。任務は砲弾の下をかいくぐって資材を輸送するような危険なものであり、腹膜炎となり手術を受けた。結局、その後、戦争の傷から回復することはなかった。その2年後、最愛の母親が76歳でこの世を去る。

【アメリカでの成功】

母親をなくしたショックからようやく立ち直ったモーリスは、1928年、アメリカ演奏旅行を敢行し、ガーシュウィンらと出会い、ゴスペル、ジャズの洗礼を受けたこともモーリスにとっては大きな収穫だった。世界的な名声を得、同年、オックスフォード大学の名誉博士号を授与される。

帰国後、モーリスが生涯に残した楽曲は、『ボレロ』『左手のためのピアノ協奏曲』『ピアノ協奏曲 ト長調』『ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ』。

【晩年】

晩年は、記憶障害や失語症などに悩まされ、脳に関する手術を受けるも昏睡状態となり、亡くなった。享年62歳。

辻井伸行 『水の戯れ』



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