見出し画像

親の遺言を守ったばかりに悲劇を招いたメキシコ皇后シャルロッテ・フォン・ベルギエン

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています、該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。


6月7日は、メキシコ皇帝マクシミリアンの皇后シャルロッテ・フォン・ベルギエンが生まれた日。(1840年6月7日 - 1927年1月19日)

シャルロッテ・フォン・ベルギエン(Charlotte von Belgien, 1840年6月7日 - 1927年1月19日)

ベルギー王、レオポルド1世とその王妃ルイーズ=マリーの間に生まれる。

夫妻にとって唯一の王女であったため、溺愛されて育つ。

祖父は、フランス国王ルイ・フィリップ1世、従姉妹には、イギリス、ヴィクトリア女王。

祖父のルイ・フィリップは、革命により、フランスからイギリスに脱出するも危篤に。その際、祖父から王座を獲得したら、それを死守せねば、地獄を見ると臨終の席で教えられた。

母ルイーズも死去の際、

「将来は大国の王妃になって、絶対権力の座を手放さないように懸命になりなさい」と遺言。

シャルロットが17歳で結婚したマクシミリアン大公は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟。性格も明るく、とても人気が高かった。

軍人としても優秀で、海軍近代化の為の改革を実行。

ナポレオン3世の要請でメキシコ皇帝になるも、後ろ盾をしていたナポレオン3世は、メキシコに見切りをつけ撤退。ヨーロッパは、内戦状態で、支援のあてもなく、絶望状態に。

マクシミリアンは、皇帝を返上しようとしたもののシャルロッテは、それを拒否。ナポレオン3世、ローマ法王にも謁見し、支援を求めるも全て失敗に終わり、徐々に精神を病み、発狂。

夫マクシミリアンはメキシコで銃殺刑となり、シャルロッテは、城を転々とし、最後、ベルギーの古城で精神を病んだまま死去。享年86歳。

亡くなるまで、自身をメキシコ皇后であり、マクシミリアンが帰ってくると信じ、ベッドには、夫を模した『マックス』という名の人形がいつも置いてあったそう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?