「ドナウの真珠」といわれる国をつくった皇妃
12月24日は、オーストリア、皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の皇妃、エリーザベートこと、エリザーベト・フォン・エスターライヒ(1837年12月24日 - 1898年9月10日)が生まれた日。
当時のヨーロッパ宮廷一といわれた美貌に加え、身長172cmと背が高く、ウエスト51センチで体重は生涯43〜47キロという驚異の体形の持ち主だった。
バイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家傍系のバイエルン公マクシミリアンを父とし、バイエルン王女ルドヴィカを母として生まれた。
父、マクシミリアンは名門貴族でありながら、君主制を否定し、宮廷の格式ばったしきたりを嫌い、一家で田舎で暮らし、エリザベートを連れて旅や狩に出かけ、詩作やツィターの演奏・作曲を趣味とした。
そうした環境で育ったエリザベートは、当時ヨーロッパ一の名門家に嫁いだことを後に激しく後悔する。
ホープブルク宮殿での牢獄のような生活に嫌気がさしたエリザベートは、ハンガリーの首都ブダペストに活路を見出す。
皇妃教育の際に、「オーストリア帝国の歴史」を教示した教授がハンガリー人であったこともあり、ハンガリーの歴史から、おかれた立場、共和制のメリットなどに理解を示すようになった。
ハンガリーは当時オーストリアに支配されていたとはいえ、馬が群れをなして走る大草原や、情熱的な国民性の国。特にブダペストは、閉鎖的なウィーンとは違い、開放的なところであり、生涯エリザベートがこよなく愛する国になる。
ブダベストには、おとぎの国のような形をした独特のデザインの尖塔が建てられていたり、建築物の屋根瓦や壁や柱などに草花を模したような不思議な模様が埋め込まれており、エキゾチックな雰囲気があった。
皇帝とブダペストに行くときはいつもハンガリーの民族衣装を身につけ、ハンガリー語で土地の人に語りかけるなど最大限の努力をした。
鉄道網の発展もあり、エリザベートは頻繁にハンガリーに滞在するように。
また、まわりをハンガリー人の女官でかため、あらゆるつてを通してハンガリーの要人と接点を持つことによってハンガリーへの理解を深めていった。ハンガリーの人々もエリザベートを愛するようになっていった。
そしてある時、驚きの行動に出る。自分たちが支配していたこの国の自治権を、夫である皇帝フランツ・ヨーゼフに認めさせたのだ。
当時、ハプスブルク帝国の支配下にあったハンガリーは自治権の獲得が国民の悲願だった。
結果、皇帝とエリザベートがハンガリー王と王妃を兼ねる形で自治を認め、ハンガリーは事実上の独立国となり、ハンガリー国民に歓喜を持って迎え入れられた。
世界遺産であるマーチャーシュ教会で戴冠式が盛大に行われ、ブダペストは、そこから美しく変わることになった。エリザベート専用のボックス席があるオペラ座や、ドナウ川河畔の豪華な国会議事堂など、新しい建物の建設が進んだ。
ブダペストの大通りとなっているアンドラーシ通りや、世界初となる電気式の地下鉄も敷設された。これはのちに世界で唯一の世界遺産に登録されたメトロとなる。
こうしてブダペストは、エリザベートのおかげで“ドナウの真珠”と呼ばれるほど美しく、そして誇り高い街に生まれ変わった。
現在でもハンガリーの人々は、エリザベートをハンガリーの王妃であり、時代遅れの宮殿のしきたりと闘い、自分の考えを持ってハンガリーを救った皇妃として認識し、彼女のことを知らない人はいない。
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