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映画史上最も美しい俳優

12月4日は、第二次世界大戦後、フランスを代表する俳優、ジェラール・フィリップ(1922年12月4日〜1959年11月25日)が生まれた日。絶大な人気を誇っていた。愛称はファンファン(Fanfan)。フランスのジェームズ・ディーンとも呼ばれた。

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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カンヌ出身。
カンヌのパーク・パラス・ホテルの支配人の二男として生まれる。

幼い頃のあだ名はジェジェで、やんちゃで甘えん坊だったという。

第二次大戦中は、法律家を目指して専門学校に通い始めていたが、ちょうどその頃、ナチスに占領されたパリからカンヌに逃れてきた、母親の知人である映画監督マルク・アレグレを初め、多くの演劇関係者たちと出会ったことから、映画や演劇の世界に魅了され、俳優の道を志すようになる。

カンヌの演劇学校を経て、クロード・ドーファンの一座に入り、1942年、ニースにあるカジノ座で初舞台を踏んだ。戦争が激化にするにつれて、フィリップは巡業に出てフランス各地を回る。
こうしてキャリアを積んでいった。

そうして、1940年代後半から1950年代のフランス映画界で実力あるフランスの美としてその人気を不動のものとした。

が、人気が出ても、彼はフランス国立民衆劇場のほとんど専属のような俳優として、舞台に立ち続けた。当時の国立劇場は役者に支払われるギャラがとても低く、彼ほどのキャリアがあれば、もっとブルジョワ向けの劇場に立つこともできた。

それでも、大衆のために彼は自分を投げ出して演劇活動をしていた。
そういったところも今でも人気のある理由の一つ。

映画のロケ中に体調を崩し、ヌーヴェルヴァーグ時代に突入したフランス映画界を見ることもなく、肝臓ガンにて帰らぬ人となった。享年36歳の短すぎる生涯だった。

ジェラールが来日した際、女優の高峰秀子は、『達へば達ふ程、自然だし、見れば見る程、優雅だし、話せば話す程、そのデリカシイにはただただ感心するばかり』と言っていたとか。


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