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今なら確実に児童虐待となった『オズの魔法使い』の主役を演じたジュディ・ガーランド

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グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。


6月10日は、アメリカの女優、歌手のジュディ・ガーランド(1922年6月10日 - 1969年6月22日)が生まれた日。

ジュディ・ガーランド(Judy Garland、1922年6月10日 - 1969年6月22日)

ミネソタ州出身。父親がボードビリアン、母親がピアニストの家庭で3人姉妹の末っ子として生まれる。本名はフランシス・エセル・ガム。芸名の「ジュディ」は彼女が好きだった歌のタイトルから。「ガーランド」はボードビリアン、ジョージ・ジェッセルが彼女たち姉妹を評して「ガーランド(花輪)のようだ」と言ったことからだそう。

7歳で2人の姉と共にガム・シスターズとしてデビュー。13歳でMGMと専属契約。当時のジュディは肥満気味だったため、MGMは契約に強制的なダイエットを盛り込んだ。体質的に太りやすかった彼女は当時のハリウッドのスタジオでダイエット薬として使用されていた覚醒剤(アンフェタミン)を常用するようになる。これが生涯彼女を悩ませるきっかけとなる。

子役として出演した『オズの魔法使』でアカデミー賞子役賞を受賞。以後も『若草の頃』、『イースター・パレード』、『スタア誕生』などで抜群の歌唱力を披露してハリウッド黄金時代を代表する大スターとなっていく。

その中、神経症と薬物中毒の影響が表面化し始め、撮影への遅刻や出勤拒否、さらには自殺未遂を繰り返すようになり、薬物治療のため入退院をするようになる。FBIは常にジュディを監視しており、膨大なFBIの監視記録が残されている。

47年という短い生涯の中、5回結婚。女優のライザ・ミネリは、その間に産んだ。

1969年6月22日に居住滞在先のロンドンで、睡眠薬の過剰摂取にてバスルームで死去。自殺とする説もある。47歳だった。

彼女には莫大な収入があったがその大半を浪費してしまっており、埋葬の費用にも事欠いたという。

娘のライザ・ミネリは、「母はハリウッドが大嫌いだった」「母を殺したのはハリウッドだ」と発言している。

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