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日本女性にマラソンを広めた偉大なランナーをご存知ですか 〜ゴーマン美智子〜

8月14日は、日本出身のマラソン選手、ゴーマン美智子が生まれた日。(旧名:諏訪美智子、1935年8月14日 - 2015年9月19日)

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。
該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。

同一年に、ボストンマラソン、
ニューヨークシティマラソンを制したのは今だに彼女だけである。

中国の青島(チンタオ)で生まれる。
福島県南会津郡舘岩村(現・南会津町)で幼少期を過ごし、
福島県立安積女子高等学校卒業後、
福島県内の短期大学に進学したが、
外科医である父親の死により短大を中退。
28歳で貨物船に乗り渡米。

米軍将校の住み込み家政婦から始め、
事務職に転じ、3歳下の夫マイク・ゴーマンと結婚。

夫の「あぁ、君も○○君の奥さんみたいに、
スポーツが出来る人だったらなぁ…」の一言が、
彼女を翌日からマラソンへと駆り立てた。

さらに世界記録保持者ジャクリーン・ハンセンに、
「あなたがマラソン? 死にたいの? 私についてくるなんて無謀よ。You can't.」 と言われたという。

しかし彼女はその後、
想像を越える努力と挑戦の末、
日本人女性初、そしてただ一人、
ボストンマラソン2回、ニューヨーク市民マラソン2回に優勝し、世界記録を樹立した。

晩年にはマラソン殿堂入りも果たし、
偉大なランナーとしてオバマ大統領の祝福も受けた。

1970年代、日本の女性がマラソン参加に関心を向けるきっかけの一つとなった。

2015年9月19日に肺がんのため死去。享年80歳。
彼女の生涯は、『リトル チャンピオン』という名の映画になった。


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