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独立を支えた初代ファーストレディ、マーサ・ワシントン

6月2日は、初代アメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントンの妻、マーサ・ワシントンが生まれた日。(1731年6月2日 - 1802年5月22日)

初代アメリカ合衆国のファーストレディー、落ち着いた性格だったマーサは、アメリカ独立戦争では負傷した兵士を懸命に看護するなど大陸軍の総司令官として戦っていた夫を影で支えた。

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

生い立ち

マーサ・ワシントンは、現在のバージニア州チェスナット・グローブで、裕福な農園主ジョン・ダンドリッジと母フランシス・ジョーンズの長女として生まれました。
良家の娘として、家庭教師をつけられ、刺繍や楽器の演奏を習い、馬にも乗ることができました。特に乗馬の腕前は抜群で、若い頃には階段を馬に乗って駆け上がり、人々を驚かせたこともありました。

未亡人に

マーサは18歳で、20歳年上の富裕な独身男性、ダニエル・パーク・カスティスと結婚し、4人の子供をもうけました。
しかし、1757年にダニエルが亡くなり、マーサは巨大な富と特権的な地位を持つ裕福な未亡人となりました。
当時の法律では結婚すると妻の財産はすべて夫のものとなるため、多くの独身男性が彼女に近づきました。

ジョージ・ワシントンとの再婚

二度目の結婚相手は、1歳年下のジョージ・ワシントンでした。
彼の方から2回も熱烈なプロポーズを受け、マーサは結婚を受け入れました。結婚したとき、マーサは28歳でした。

結婚生活

マーサは非常に家庭的な女性で、所有する農園での生活を好んでいました。
しかし、アメリカ独立戦争でジョージが大陸軍の総司令官に指名されると、1775年にボストン近郊で彼と合流し、最後まで夫を影で支えました。

陣営内では他の婦人たちを励まし、繕い物や靴下を編み、兵士たちに配りました。また、負傷した兵士たちを分け隔てなく看護し、最も困難と言われたバレーフォージの冬も夫のもとで過ごし、将兵の士気を高める役割を果たしました。

最期

ジョージは、大統領引退後の外交任務の中、雨中の乗馬で風邪をひき、65歳で亡くなってしまいました。
夫の死の床で、マーサは「私もまもなくおそばに参ります」と語ったとされています。

その4年後、マーサも1802年5月22日に70歳で亡くなりました。

現在、二人はマーサが愛したマウントバーノンで同じ墓に眠っています。


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