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料理がめんどくさいと感じるすべての人たちへ。

こんにちは、megです¨̮⃝
このnoteでは、「シンプルに自由に生きていくため」に、日々試行錯誤しながら暮らしている私が学んだことや気付いたことを発信しています。

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先日、離れて暮らす実家の母と電話した時の話。
1歳児育児中の妹が週1ぐらいで泊まりに来るようになったそう。
夫が夜勤の日のワンオペが辛く、夕飯を作るのも面倒だから実家に泊まりに来るのだそうだ。
だが、実家の母も「最近はお母さんも毎日の夕飯作りが面倒だし億劫になってしまって。お父さんがカレーをたまに作ってくれるんだけど、お母さんより上手なのよ。」と言うから驚いた。

私が結婚して18年。
最近は年に1度ぐらいしか帰省できないので、母が日々どんな料理を作って、どんな暮らしをしているのか知ってるようであまり知らないことに気がついた。
私の中で母の姿は昔のままで止まっている。
実家暮らしをしていた24年間、5人家族の我が家の食は全て専業主婦の母の手で賄われていた。
「今日はこれで済ませておいて」とお金を渡されたこともないし、惣菜がでてくることもほとんどなかった。
いつも小さなメモ帳に一週間の献立が書かれていて、毎日同じ時間に夕飯が用意されている日々だった。
毎週末に父と買い出しに行ったり、生協や近所のスーパーを活用しながら5人分の食材を確保してくれていた。

私が24歳の時に結婚して家を出て、弟が就職して東京勤務になり家を出た。
実家で父と母、妹の3人暮らしになってからは「作る分量がわからない」と母がよく嘆いていると妹や父から聞いたのを思い出す。
妹が一人暮らしを始めてからは、母は「生きがいをなくしてしまった」と一時期鬱症状になったこともある。
ずっと「家族のため」に家事をしてきた母にとって、急に無職になってしまったような、そんな感覚だったのかもしれない。

決して料理が好きだった訳ではなく、もともとは料理が苦手。
母はそもそも手料理で育ったタイプではないので、台所に立つ母親像を知らなかったという。
その反面教師で、自分は結婚したら家族にそんな思いはさせたくないと、料理学校に通い、料理ができるようになったのだそう。
今みたいにレシピをネット検索できる時代ではないので、家には数冊の料理本が本棚にあった。
毎日、どんな思いで家族に夕食を作っていたのだろうと母に聞いてみたくなったけれど、そういう話をしたがらないので想像だけで留めておこうと思う。

毎日の夕食作りはなぜめんどくさいのか?

私は何度もnoteで書いてきたように、毎日の夕食作りを手放した人間である。
一度手放すと、もう毎日料理を頑張る日々には戻れない。
「なんであんなに大変なんだっけ?」と改めて考えてみた。

  • 工程が多いからめんどくさい

まず、毎日の夕食作りでネックになるのが「献立を考える」作業だろう。
冷蔵庫の中身をチェックして、早く使い切らねばならないもの、まだもうちょいいけるもの達の存在を把握するところから始まる。
そして、作ろう!と思ったレシピにそれらが使えるかどうかを確認。
さらに必要なものを買い出しに行き、予算内で買えるかどうかを見定める。
物価が高騰している昨今では、スーパーに行ってありえない値段に愕然とし、献立を変更せざるをえないことも多々ある。(キャベツが300円台だったとかで)
それを1週間分となると想像しただけでもめんどくさい。
ましてや、仕事で疲れた体と頭で行うなんてなかなかハードすぎて涙が出る。
料理は買い物だけではなく、下ごしらえ→調理→配膳→後片付けとやることがいっぱい!!
これがお給料がもらえる仕事ならまだしも、無償で提供する「愛情」という名のサービスなのだからなおさらタチが悪い。
それほどまでに頑張って作っても、家族から感謝されることない。
かといって作らなければ家族全員がその日の夕飯を失い途方に暮れる。
罪悪感しか残らないという負の連鎖。

  • 毎日作り手が同じだと、新しいレシピにチャレンジすること自体がめんどくさくなる

夫婦共に料理ができたり、料理が趣味の子供がいたりすれば話は別だが、たいていの家庭では作り手が決まっていることが多いのではないだろうか。
実家では母が献立作りを少しでもラクにすべく、隔週で同じ献立の料理がルーティンのように並ぶのが常だった。
そんな風に、作り手が工夫を凝らして献立を立てているにも関わらず、料理をしない人間がたまにポロリとこぼしてしまう台詞がある。
それは、「またこれ?」である。
絶対言ってはならない禁断の一言だ。
(お母さんごめん)

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先日の電話で母が、「どうしても新しい料理にはチャレンジできなくて、同じ料理ばっかりになっちゃうのよね」と話していた。
それでも昔は挑戦する気力があったようで、よくスーパーの入口に置いてあるレシピや、生協のチラシに載っているレシピを切り取ったものが冷蔵庫に貼られていて、実際にその料理が食卓に上がることもあった。
(家族の反応が良かったレシピだけが生き残り、その後も何度か登場していた。)


料理が嫌いでも面倒でも、誰かのためなら頑張れる

きっと母は料理が好きではないのだと思う。
けれど、家族のため「めんどくさいけど作らなきゃ」と毎日頑張ってくれていたのだろう。
どんなに暑い日も、ガスコンロの前に立ち料理をしてくれた。

そんな母に、我が家で行っている「一万円チャレンジ」の話をした。

子供たちに食費として一万円を渡し、自分たちで買い物に行ってもらい、料理をしてもらっていると。
最初はチャーハンしか作れなかった息子は最近ではカレーが作れるようになり、パスタしか作らなかった娘が麻婆豆腐を作るようになったこと。
私は、母から「そんなことをさせてかわいそう」と言われることを想像していたのだが、それを聞いた母から出た言葉は意外な一言だった。

「いいなぁ。」


なぜ羨ましがるのかを尋ねてみると、自分もそんな子育てがしたかったのだという。
専業主婦ということを負い目に感じていたのか、はたまた料理をしてくれなかったワーキングマザーだった祖母(母の母)のようになりたくなかったのか。
いろんな思いがからまって、「料理は毎日私がしなくては」と、まるで呪縛のように母をがんじがらめにしていたのかもしれない。

尾石晴さんの新刊「からまる毎日のほぐし方」を読んで、ふと母も昔は様々なことにからまりながら毎日を送っていて、そして今も年齢によるからまりを抱えているのだろうと思った。

特に料理に関しては、何度か電話でも「めんどうに感じている」ということを話していたので、今はいちばんやりたくない家事なのかもしれない。

父と母は互いに「共依存」だと認め合っている二人なので、願わくば二人で一緒にあの世に逝けるといいのだが、実際はそうはいかない。
もし母が先に逝くようなことがあれば、父は毎日の食事を自分で用意することになるのだ。
それなら今のうちから、自分の夕飯ぐらいは自分で用意することをトレーニングのように日課にしておく方が父のためにもなる。

喧嘩しながらも互いに支え合っている2人。

母が我が家の「一万円チャレンジ」の話を聞いて、何か踏み出すきっかけにしてくれたらいいなと思った。

そんな私の今日の夕飯は、ハマっているすしのこを混ぜたご飯に納豆をかけたもの、週一で作る鶏ハムとビーツラペをのせたサラダ、これまたハマっているごま豆腐。

シンプルで美味しい。


NO料理でもLIFEはまわっていく。
そんなふうに、今はラクに生きる!!と割り切って、気が済むまでやってもいいんじゃないかな。


今週も読んでくださってありがとうございます。
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