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「エモい」世代が羨ましい

YouTubeで音楽を聴きながら、なんとなくコメント欄を見ていると、「エモい」という言葉まみれで辟易するけど、同時に少し羨ましいと思う


10年後の若者たちはエモいなんて古臭くて使わなくなるし、
Z世代はきっと歳を取っても、より若い世代にはダサいなんて思われながらも、「エモい」を使い続けてしまうんだろう


でもそれは悪いことじゃない
「エモい」は今この時代に若者として過ごしたZ世代だけが共有できた固有の結びつきとなるだろう
「エモい」は今この時代に確かに存在してるし、それを一番はっきり知覚できるのは若者なのだ


令和30年、飲み会の帰りにおじさんがエモいね、と同僚に言うと相手もエモいねと笑う
最近の子たちは、エモいが何かわからないらしい、これだから最近の若者は…俺たちの時代は…
みたいな会話があってもいいじゃないか


そもそもエモーショナル≒言葉にできない感情の機微を表す言葉が流行るなんて、僕らの世代よりマシだよな
「ヤバい」は、あれはあれで荒々しい時代を表してて悪くないけど、「KY」なんて最悪だった
KYが流行ったせいで僕らの世代は空気を読むのに敏感な人が多いのではないか、という気がしてならない(僕もそうだ)

「エモい」が氾濫しすぎているせいで、語彙力が下がる、感動が薄っぺらくなるという話がよく上がるが、それらは芯を食ってない批判だと僕は思う


僕は「ヤバい」が流行った世代だからわかる
いつの時代も若者はほとんど語彙力なんて持ち合わせてないし、パッケージ化された感情を消費するものなのだ
それの何が悪い
「エモい」や「ヤバい」の着目すべき点はそこではない
これらが表してるのは時代の空気感だ
何に比重を置き、五感を通して何を感じるか、その時代のカラーをこれらの言葉は端的に表している

平成初期は、不景気の鬱屈した空気感が、底抜けに明るいポップスを求めた
平成後期は、ぬるま湯みたいな平穏への歯痒さと発散できず溜め込まれたエネルギーが邦ロックを突き動かした
令和の初めは、どうやらchillにエモにといくらしい
それがこの世代の空気感だ
実に結構なことだ
少なくとも最近の中では極めて健全な方じゃないか

感情の機微に重きを置いたこの世代が、今後何を見、何を作るのか楽しみだ
(頼むからいい音楽をたくさん作ってくれ)


※世代区分だとぎりぎり自分がミレニアルに属してしまうため、なんとなくZ世代と自分を線引きしてしまう見てしまう
これだから世代区分というは厄介だ

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