11 塾をクビになる👉「占い師」になるんだった!
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Meeです(^^)/
救急車に乗せられたMeeさんに
隊員がこう問います。
「お名前は?生年月日は?」と。
「Meeです。誕生日は・・・
今日です( ;∀;)」と。
そんなこんなで
病院にかつぎこまれ
もちろん塾もお休みすることに( ;∀;)
療養中は40度近い熱が
約1カ月も続き(尋常じゃないですね~(;^_^A)
※今思うと、細胞という細胞が
生まれ変わりまくっていた=アップデートされていた期間のようですな。
首も痛くて
動くと背中いっぱいに激痛が走り
痛みでヒヤッとするのです( ;∀;)
さらに
左の首から肩、腕と指先にかけて
びりびりとシビレが走るのでした。
病院では
首に痛み止めの注射を打たれたり
リハビリに通ったりと
そんな日々を過ごす中で
ワタクシはふと思うのです。
「やりたいこと、しなきゃ・・・」と。
Meeさんの
やりたいこと、やり残したら後悔すること
これをせずに今回の人生を
終わるわけにはいかないこと・・・
そうだ。
ワタクシ、占い師になりたかったんだ。
占いの勉強をしなければ、と。
占いは女性ならみんな
興味がある分野かと思います。
が、ワタクシが人生で
まともに占いを経験したのは
千葉の成田山で1度みてもらったくらいでして。
ただ、思い返すと。
事故にあう何年も前に
東京の新大久保を友人と歩いているとき
(この友人、一緒に事故にあった友人です。
なんとも因果な(;^_^A)
ふとこう思ったんですね。
「占い師になりたい。
週に1回でもいいから新大久保で
占いの勉強できるところないかな。
会社が休みの日にアシスタントとか
募集しているところないかな」
と、思った記憶がありました。
(もう、根拠はないです。インスピレーション。
それから数年後、本当に新大久保で占い師デビューすることとなる)
そんなことも
すっかり忘れていたのですが
いよいよ
「そろそろ、始めなきゃな。占いの勉強」
ということで
地元で手相を教えてくれる教室を探し
そこに月1回通うことに。
(その手相の先生が心理学セミナーやら
いろんなことを教えてくれる人でした。
過去世でもばっちりご縁のある方でした(;^_^A)
この頃に
エドガーケイシーの本と出会い
(先生が教えてくれた)
「これ、ホントのことが
書いてある・・・」
と、衝撃を受けるとともに
とっても生きやすくなったのを
覚えています。
ものごとも人生も
脳の構造やジグソーパズルも
「仕組み」がわからないから
不安になったり
同じところをグルグルと堂々巡りしたり
(同じパターンの人生)
あーでもないこーでもない
これが起きたらあれが起きたら
と、
迷いの中を生きてしまうんですね(;^_^A
(迷いの渦にいることすら、氣づけない)
そして
手相、数秘術、タロット、
チャネリング、リーディング、ヒーリング・・・
と、
統計学やエネルギーについて、
この世の仕組みや宇宙についてなどなど
本格的に学び始めることになるのでした
(これも台本通りではあるのですが
当時のMeeさんは知るわけない(;^_^A)。
そして
塾も半年以上お休みすることに
(当たり前(;^_^A)。
もちろん、お休みしている間に
Meeさんの席はなくなっているわけでして。
(実質、クビになる(;^_^A
くしくも
タイ古式マッサージセラピストとして
働いているときに感じていた
「お客様は身体も疲れているけれど
心も疲れていらっしゃる。
心のケアもできるセラピストになりたい・・・」
という願望通り
「ほな、統計学&心理学を学びな。
カウンセラーになりたかったんやろ、高校生のとき。
誰でもカジュアルに
人生相談できる【占い師】っていう
道を用意したるわ。行け」と
人生さんの方から
これまたおいでおいでサインを
ちらつかせてくれるのでした。(笑)
「首から背中、指の先にかけての
シビレも与えたるわ。
体がよう動かん人の氣もち、
これでわかるやろ。
心、折れるやろ。
そのあたり
うまいことケアできる技術と経験
積みなはれ」と。
とても実践的な
「痛み」というギフト(贈り物ですね。)を
いただきまひた。
そうはいっても
Meeさんはこの世という人間界で
生活しているので
生活するには
収入を、ということで
これまた
「学び」と「収入」のランチセットのような
ひらめきが
降ってわいてくるのでした。
「あ、やり残したこともう1つあるわ。
英語ペラペラになるんだった。
英会話スクールに通おうかな」と。
体調もかなり復活してきた頃
さっそく英会話スクールの体験レッスンへ。
すると、
簡単な体験レッスン兼ミニテストの後
案内されたコースが
●●●万円となります~、このプランですと。
と、いうことで
「この金額はワタクシあいにく
持ち合わせておりませんの」ということで
「自分が働く側になれば
話せるようになるんじゃないかな」と
思い立ち、
塾の仕事も立ち消えたことだし
と、さっそく
英会話スクールの求人を探すのでした。
そして面接をパスし
はれて英会話スクール講師として
デビューすることとなったのです。
(流れの説明が雑すぎる(笑)
そこで
指導し始めて数年経ったある日・・・
「声が出なくなりました」
&
じんましんが・・・
つづく(;^_^A
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