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人の就活を心ばかり応援する話。

どうもやっとこさワンピースを観に行った女です。知らぬ間にコビーが大佐になっていたり、知らない味方の能力者の人がいたりしましたが最後は号泣して帰りました。映画館で私と友人だけが泣いていて、他のお客さんは静かに鑑賞していました。謝罪。

最近、地元にジンベイ像が出来て、いよいよ公式からのネタバレテロにあっているので、早く本誌に追いつきたいです(現在66巻)

同郷のフォロワーが就活の末にひとまず内定が1つ取れたそうです。めでたい。
また時を同じくして、友人が筆記試験に落ちて、NNT(最近覚えた)なので1から就活するか、来年に期待を込めてバイトを続けるか悩んでいるそうです。どうなろうとも出来る限り応援します。
せっかくなので、自分の就活を振り返ってみます。

高3の春~夏

理系クラスのくせに、理系科目でありえない点数で赤点を取りまして、「あっ、頭悪いんだ自分」と改めて気付きました。頭が良いという過信は勿論していませんでしたが、絶望的に理系科目の点数が悪いことに受験シーズンに入る前に思い知りました。
なので、進学を秒でやめました。
心がポキリと折れるとはまさにこのことです。ここで文転するなり、ごりごりの理系の進学を辞めて進学するという選択肢が思いつかない辺り、地頭が悪いんだな〜って今思い出してもしみじみ思います。担任の先生にめちゃめちゃ止められましたが、断固たる意志で断りました。普段は優柔不断なのに、ここでは意志の主張をはっきりしたのか今でも意味が分かりません。
そして、最終的に学年400人中自分含め4人が就職目指して頑張ろうキャンペーンをする運びとなりました。ちなみにですが、テキストの8割をブックオフで買ったりする位には不真面目な野郎でした。
他のクラスメイトはセンター試験対策のため、就活組だけ別室で各々の志望職種に合わせた勉強をしていました。塾も一緒だったのでまじで一日中一緒でした。
4人でずーっと静かな部屋で自習していたのでほぼ寝ていたような気がします。寝た分勉強する訳でもなく、家でもしっかり寝ていました。また、私の友人も一緒に寝ていましたが、この友人だけが本命に合格していったので、世の中何が起きるか本当に分かりません。

高3の夏~秋

求人募集が始まりました。
が、調べる時期が早過ぎて、第一候補と滑り止め3ヶ所しか見つけきれませんでした。ちなみに急遽就活に路線変更したこともあり完全に予習不足で、申し込み終えた数週間後に近場での募集を見つけて絶望しました。ただ、この近所の試験が第一候補の2次試験と同日にあり、第一候補を一緒に受験した他クラスの人は、滑り止めを諦め、第一候補に絞って受験していました。(なお)
滑り止めがてらに3ヶ所申し込みをしたのですが、その内2ヶ所の受験申し込みを逆の日だと勘違いし、1か所は申し込み期間が既に終わっており、もう1か所は申し込み開始前に申し込みを行いましたが、受験資格を得ました。受験番号は一番だったし、ちゃんと落ちました。そりゃそうだ。
こんなことをしているせいで、3ヶ所受験した内、本命と滑り止めの1ヶ所ずつの2次試験に進むこととなりました。

高3の秋

1次試験は筆記のみでしたが、2次試験は個人面接と集団面接が行われました。履歴書を書いて添削してもらって、本番に臨もうとしていました。
そう、面接対策ゼロで。そのことが滑り止めの試験日前日に先生にバレて、めちゃめちゃ怒られました。付け焼き刃でドアの開け閉めや歩き方座り方を指導して頂きました。受け答えは良いとして、いかんせん動作が不審って言われたこと、未だに根に持っています。でも、この直前の指導のお陰で合格できたと思うので、一生頭が上がりません。卒業してから何回かお会いしましたが、未だに親しくして下さるので、異動になったらまた会いに行こうと思います。
試験自体は滑り止め→本命の順で行われました。
どちらもまあまあ手応えがあったので、「これは通るでしょう!!」と思っていました。あの頃は無敵でした。まじで傲慢。

結果発表

滑り止めが先に発表があり、合格しました。
昼休みにスマホで確認したら合格していたので、早速担任の先生に報告しに行ったら、スマホを校内で使った事が秒でバレました。めでたいことだったので見逃してもらいましたが、ちなみに本来なら、1週間没収だった気がします。友人達と放課後にやっていたパズドラのゴッドフェスのガチャ回し大会で何度見つかりかけたかもはや分かりません。前はサクホルかアヌアヌでよく周回していました。懐かし〜。
その後に、本命の発表があり不合格でした。思い出すと、合格者は中学の同級生で商業高校卒だったので、即戦力になるということもあったんじゃないかと思ったり、転勤必須だから面倒だな〜などと悔しさを薄めて、生きながらえました。当時は相当悔しかったですが、志望理由も明確に無いまま、行き当たりで受験したこともあり、「まあ滑り止め受かったから良いか〜」という思いで就活が終わりました。ちゃんちゃん。

そして今

滑り止めであった職場で働いています。7年目になりました。徐々にお局に近付きつつあります。
部署異動は転職レベルで職務内容が変わるし、通勤に片道40~50分運転しないと行けませんが、人生の道標となる尊敬かつ推しとなる人に出逢ったり、わりかし自由に休めて旅行に行ったりライブに行くことが出来る良い職場です。
本命の職種と関わることもありましたが、実情を知ると、向いてないかも....と思うこともしばしあったので、これはもう運命なんじゃないかと思います。というか、そう思うしかありません。
自分はやりたい事も方向も分からずに、また特に決めずに、親や周りに勧められた職種に就活して、そのままその鞘に収まっています。今もなおやりたい事も特段無いし、収入も安定しているので、今のところは転職する気もありません。
きっと私と同じような人も沢山いるだろうし、やりたい事を見つけてその道に進んで就職する人もいると思います。
でも今後、仕事内容そのものが嫌になることも周囲の人間関係に悩まされることもあると思います。良くも悪くも思い入れがあまり無いので、もし何かあれば速攻辞める心づもりで働いています。少なくとも身体や精神を壊してまで働くことは無いと思っています。
就職してすぐの頃、気付いたら仕事がきつ過ぎて精神崩壊していた時期がありました。友人に大変迷惑をかけた事だけは覚えているので、今は疎遠になっていますがいつか謝罪と感謝を伝えられたら良いなと思っています。

話は変わりますが、友人1号と国試が終わるまでの遊び納めをしてきました。

友人は夢があってそのために大学に進学し、就活や受験に取り組んでいます。
また、上記同郷フォロワーも自分のやりたいことを見つけてその物事に関わることができる場所の内定が取れたそうです。焼肉をご馳走する約束をしているので、いつかご馳走してあげたいと思います。
皆、夢があって良いなって心の底から思います。でも、本当に嫌になったら他の選択肢もあるんだよとも思います。就職先も1つじゃないし、ジャンルや形態を変えても仕事は出来るんです。だから、まずは夢に向かって頑張って欲しいと切に願うばかりです。

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