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ありがたき幸せ

もしも七人の小人中、
六人が嘘つきで、1人が正直者だったとする。

そうなると、もはや正直者は正直者では無くなる。単に正直か、嘘つきかとゆう意味では無くて、嘘を平気で付くような悪者か、正直な善者か、とゆう意味でだ。
更にその六人が結託なんてした場合なんて、手立ても無い。
多数の「悪」の前では、「正義」は、もはや正義では無いのだ。善良な人間の訴えなど、この世の中では何の意味も持たない。私の世界ではそうであった。

6年勤め上げた会社を退職した。
6年間尽力をつくし、身体を、精神をすり減らし、それでも仕事が、職場が大好きだった。しかし、辞めた日最後の代表のLINEは、

「弊社に関わるLINEは全て退会して下さい。」

もう、まるで他人事の文面だった。

感謝や、謝罪の言葉はひとつも無かったのである。辞めた理由は割愛させて頂きたいのだが、それでも、それにしても酷い言葉だった。

私とゆう人間が、善か、悪か、それは私には分からない。あの人にとってはうっとうしい存在だったのかもしれないし、別の人にとっては優しい人だったのかもしれない。そのあたりは相手の主観なので私にはわかり得ないが、ただただ会社に尽くしてきた事実さえ、あたかも無かった様に扱われ、とびきりの嫌悪感を向けられ、幕を閉じたのである。

この話を友人に話すと、誰もが口をそろえ、辞めて良かった、あんな会社辞めて当たり前だ、と言ってくれる。私もそう思う。
しかし、感謝をしているのだ。つらく、理不尽な事ばかりで、なめられ、卑下され、馬鹿にされ続けた6年間であったが、心からお礼を言いたい。この経験は、地獄のような経験は、私をどれ程強くし、忍耐強く、大きな人間に成長させてくれた事か計り知れない。私の根底の人間性を、大きく構築していただいたのだ。

この「いただいた」に、
とびきりの憎しみと、感謝を込めて。

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