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『カンデル神経科学』のコラムを書籍化してくれないか

今回でこのnoteは最終回らしい。

元よりアイデアや話題が湧き上がってくる質ではないから,毎回何を書くか悩んでいた。テーマを考えなくても済む方法はあるにはあった。カンデル神経科学には,本文の他にコラム(書籍中では,BOXと表記されている)が全部で59個掲載されていて,興味を惹かれる内容のものが多い。それらを取り上げて解説したり話を広げたりすれば,それなりの数の文章を書けたかもしれない。パッと目につくものだけを列挙してみよう。

”データサイエンスとしての脳イメージング”
”信号検出理論:検出と弁別の定量化”
”指紋は触覚の感度を増大させる”
”齧歯類におけるヒゲ-バレル系”
”視覚と記憶の相互作用を調べる”
”内部モデル”
”ベイズ推定”
”情動の測定方法”
”エピソード記憶は想起の際に変更される可能性がある”

個々のテーマの説明は割愛するが,タイトルからして面白そうなものや,タイトルでは中身が想像しづらいが読めば面白いものまで様々だ。たとえば,”内部モデル”については前回のnoteでも少しだけ触れた。「脳は体を動かす前に一度シミュレーションをしている」という話のことで,要は頭の中に入っているシミュレーターのことを指すらしい。正確ではないと思うが,飛行機や車の操縦シミュレーターみたいなものを想像してみると良いかもしれない。他にも,「データサイエンス」や「信号」「弁別」「ベイズ推定」といった工学っぽい言葉遣い,あるいは,「記憶」や「情動」などの,普遍的に人間が興味を抱くトピックも扱っている。

以前,「自然は実は秩序だらけだから面白くない」という旨の発言を聞いたことがある。又聞きなので誰が言ったことなのかも分からないが,この方の意見も理解できる。蜂の巣が代表例だが,生物や生物が作るものには構造の繰り返し,つまりパターンがいたるところで見られる。それを美しいと思うかつまらないと思うかは感性の違いだから他人がとやかく言うことではないだろう。生物ごとの多様な形や生態,あるいは体の中の細胞ごとに異なる役割に注目して調べるのも科学だし,多様なものの中に普遍的な要素を見出すのも科学だ。私は普遍性の方に心惹かれるのでどうしてもそちらの視点からの話ばかりになってしまうが,本当は神経科学の中にも両方の楽しみがあって,それはカンデル神経科学を見ればよく分かる。脳の中にさえ,様々な種類の細胞がそれぞれの機能を持って存在しているし,またそれらが集まって見事に連携している。そうした話もコラムの話題の豊富さにつながっているのだと思う。

『カンデル神経科学』のコラムから話題をとらなかった理由は簡単で,神経科学の内容を解説するほどの専門的な素養が私にはないからだ。しかし一読者としては,この面白そうなコラムから広がる話を読みたい。今の神経科学を語るに相応しい話題が多く取り上げられている。漫画の話数と話数の間にある一コマのように,キャラクターやその作品らしさが本編とは違った形で表現されていると思う。コラム自体は文章も短く簡潔に記述されているから,それを一つ一つ専門家の方に解説しつつ広げてもらいたい。まとめたものを独立した書籍にしてくれれば,少なくとも私は必ず購入する。

このnoteでは,神経科学のトピックを直接的に語るのではなく,外縁のことを書こうと思った。だから私の研究者時代の記憶や感覚,科学に対する想いを書いた。もっといえば,研究者の方々を応援していることを伝えられればいいと思った。研究者は,世に数多ある職業の一つに過ぎないが,私にとっては世界を広げてくれる特別な存在だ。科学は今のところは終わる見込みのない営みだから,今後も多くの研究者によって新しい発見がなされるのは明白だ。先人の積み重ねを継承した上で科学を先に進めようとする行為は「巨人の肩に乗る」などと表現される。神経科学の巨人はこのところ成長期のようだ。きっと半世紀後の神経科学は,今の『カンデル神経科学』に書かれている内容が牧歌的だと思うくらいに進歩し,それは人々の考え方に大きな影響を与えているに違いなく,人間や心のありようまでも変えているかもしれない。それは私の人生の中での密かな楽しみで,また希望でもある。

2022.12.26   牧野 曜(twitter: @yoh0702)