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実験と雑談と本物

研究をしていた頃,実験をしながら色々な話をした。

雑談をしながら手を動かす習慣は,いろいろな場面に見られるのではないかと思う。ネットスラングにも,作業をしながらスカイプで会話することを意味する「さぎょいぷ」という言葉が存在する。生物研究の現場でも,隣や向かいの実験台に座っている者同士で会話をしながら実験をする光景はごく普通に見られる。なにせ生物実験は,同じ試薬を同じ量だけ 100 本のチューブに注いだりと,単純作業がけっこうな割合を占める。将来的に,単純作業部分が機械化・ロボット化されれば雑談をする機会はなくなってしまうかもしれないが,それにはもう少し時間がかかりそうだ。

話題の定番は,教授に対する愚痴や他所の研究室の人事などゴシップ的なことから,趣味や休日の過ごし方,最近話題になっている研究,自分のキャリアなど,職場の雑談と言われて思い浮かべそうなものばかりだ。そんな中,自分より年下で,自分よりずっと優秀だった研究者が雑談中に言った言葉を今でも思い出す。

「これからは,個体か数理のどちらかだと思います」

十数年前のことだったと思う。これからの研究はどうなっていくのかという大それたテーマを,真面目にではなく井戸端会議的に話していた。以前のnoteでも触れたように,当時,分子生物学的な研究がひと段落ついた頃だった。分子生物学では遺伝子の機能を研究する。一言でいえば,細胞の部品・パーツを一つ一つ調べることで生物を知ろうとしていた。そういった研究があらかた終わってしまったことにただ漠然と不安を抱いていた自分に比べて,彼は今後の研究の方向性をきちんと見据えていた。

彼の言葉の一つ目である「個体」は,体全体と思ってもらえればいい。生物は複雑系だ。生き物の体は多くのパーツが複雑に組み合わさってできているので,パーツ(=遺伝子)の性能が分かってもそれで話が終わるわけではない。細胞は数千種類の遺伝子から作られている。自動車の部品が 2 万種類ほどだと聞いたので,それと変わらないほど複雑だと考えてみてほしい。(今回は単純化のためにこれ以上は触れないが,本当はもっと複雑だと思う)

複雑なシステムは個々のパーツのことが分かっても,そこから全体の機能を推定することができない。だから,パーツの機能を参考にしつつあらためて全体としてどう機能するのか調べなければならない。複雑系の話で有名なのは気象だ。風がどこからどう吹くのかという問題は,空気の分子がどのくらいの速度で移動するのかと言い換えられる。しかし,分子の動きを記述する数式があったとしても,条件が膨大にあるためにそのまま計算できるわけではないらしい。それと似たように,遺伝子の性質が分かっても体全体がどう動くのかを正確に推定することはできない。生物もまた,とてつもなく複雑なシステムだからだ。そこを乗り越えようと,現在,体や臓器全体を調べる試みが盛んになってきている。神経科学の興隆もその一部と言えるだろう。一つ断っておかなければならないのは,生物をシステム全体で捉えようする研究は昔からあった。むしろ,昔はそれこそが王道だった。古典的な研究と現在のそれとのちがいは,遺伝子という部品,最小の要素を考慮に入れているところにある。

神経科学から一つ例を出すとすればコネクトームだろう。神経細胞同士は互いにつながってネットワークを作っていて,接続した神経細胞同士は化学物質や電気信号を交換している。神経細胞は,ネットワーク・回路として働いている点ではコンピュータと一緒だ。この神経ネットワーク全体をコネクトームと名付けて,神経細胞同士の接続を全て明らかにする研究が進んでいるらしい。どの神経細胞同士が繋がっているのか,そして,それぞれの神経細胞がどのような遺伝子(部品)を使って信号を交換しているのか。それらを全て調べる試みだ。しかしちょっと考えてみてほしい。人間の脳には神経細胞が 1000 億個存在する。世界人口の十数倍の数の細胞が一人の脳に納まっていて,なおかつお互いに接続しているのだ。すべてを解析しようとしたら訳がわからなくなってしまって当然に思える。そこをうまく扱う方法を見つけられるかどうかが,複雑系の科学としての腕の見せ所だろう。『カンデル神経科学』の第 1 版では,線虫のコネクトームについて言及されていた。線虫は小さな生き物で神経細胞が 302 個しかなく,全ての接続(相関図)がすでに明らかにされている。編集者の方曰く,第 2 版ではヒトのコネクトームの成果が掲載されているらしい。ヒトのコネクトームはまだまだ研究中で,掲載されていたのは1000 億個の神経細胞同士の相互作用ではなくて,脳の領域同士の接続についてのようだ。世界中の個人同士のつながりがわかったのではなく,国同士の関係が分かってきた段階だと考えてもらえれば良いと思う。

もう一つのキーワードである「数理」は,細胞やタンパク質の機能を数式で記述するものだ。これは,生物学を自然科学の「正式な」一員として認めさせるための流れだと個人的には考えている。近代の自然科学は物理学から始まった。17 世紀にニュートンなどの科学者たちが,世界の振る舞いから法則を見出し,数式で記述する方法を確立した。万有引力の発見(もしくは発明)も,そのうちの一つだ。実は,生物学・医学はもともと,こうした物理学を中心とする自然科学の流れとは別なところで発展してきたので,物理学的な方法論に則っていない部分が多い。生物学をより普遍的な自然科学の体系に組み込もうとするならば,物理学と同じく数式で記述できる(数学モデルが存在する)ことも大切になってくる。

「個体と数理」という二つのキーワードは,生物学をよりauthentic にする過程に見える。authentic とは,「真性な」「本物の」「信ずべき」といった意味の言葉で,要はとんでもなく複雑な研究対象である生物を,他の学問領域と同じレベルで解明しようとすることだ。ちょうど昨年,気候モデルなどの複雑系を扱った研究にノーベル物理学賞が与えられた。先ほども例に出したように,気象学は複雑系といえばまっさきに名前の挙がる研究領域だ。気象に関する現象に秩序や構造を見出し,数式で記述できるようにした結果,ある程度の予測ができるようになった。CO2 濃度の予測なども成果の一つだ。単なる妄想なのかもしれないけれど,生物の複雑系研究に大きな進展があれば,いつかノーベル「物理学」賞が与えられるかもしれない。

実験をしながらの雑談は,作業が佳境に入ると会話が終了する。接続は終了だ。直前まで楽しく話していたのに突然返事がなくなる。話し相手の実験が頭を使う工程に入ったんだと分かる。話の途中だろうと何だろうと,集中すべき時は集中しないといけない。「個体か数理か」と言った彼との雑談は,その後どうなったのだろう。しばらく話しが続いたのか,それともすぐに終わったのか。そもそも,何の実験をしていたのかすら全く思い出せない。ただ彼の言葉だけが頭に残っている。

2022.8.1 牧野 曜(twitter: @yoh0702)