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神経科学の完新世として

『カンデル神経科学 第 2 版』の中で最もページが割かれているテーマは何かというと,それは「意識」でも「記憶」でもなく「知覚」と「運動」だ。

この教科書の中で,各項目にどのくらいのページ数が割り当てられているのか気になったので書き出してみた。

Part I   概論 (130ページ)
Part II  神経系の細胞生物学と分子生物学 (112ページ)
Part III    シナプス伝達 (150ページ)
Part IV   知覚 (328ページ)
Part V    運動 (266ページ)
Part VI   情動,動機づけ,ホメオスタシスの生物学 (124ページ)
Part VII  神経発生と行動の発現 (190ページ)
Part VIII 学習,記憶,言語,認知 (134ページ)
Part IX   神経系の疾患 (168ページ)

『カンデル神経科学』は全部で 64 章もあるので,さらに大きな括りとして全体を9 つの Part に分けている。話題に挙がりやすい記憶や言語を扱うメカニズム,そして今後,哲学をはじめとした人文科学に大きな影響を与えていくであろう意識や意思といったテーマは全てPart VIIIの『学習,記憶,言語,認知』に含められ,全体の十分の一のスペースも与えられていない。

神経科学がこれまでに明らかにしてきたことの中で,生物が外界をどうやって「感じ」ているのか(知覚)と,どうやって体の色々な部位を「動かし」ているのか(運動)が,大きな割合を占める。これには色々と理由があると思う。

まず,科学は分かるところから調べる。これは何も科学に限ったことではなく,スポーツでも勉強でも仕事でも大抵の場合そうだろう。簡単で取り組みやすいところから一つ一つ積み上げていく。意識や意思は曖昧で捉えづらく実験対象にしづらい。何を観察したり測定したりすれば人間の意識や意思を正確に調べられるのか分かりにくい。自分が今ここに存在するという内的な感覚は確かにあるのだけれど,研究するときには客観的な指標がある方がいい。意識ほど曖昧ではなくても,例えば,恐怖を感じるメカニズムについて調べるときには,研究対象に「怖いですか?」と聞くよりも,すくんで動きが止まったり,表情が硬直してしまったりといった具体的な行動を指標にしたほうが正確だ。人間を観察対象にするときは,質問に答えてもらう方式を採用することもあるので,あながちダメというわけではない。しかしそもそも,詳しいメカニズムを調べるのに人間相手では限界がある。マウスやハエ,線虫といった人間以外の生物の方が対象として適切だ。彼らは言葉で表現してくれるわけではない。だから,自ずと目に見える,つまり客観的に観察できるものを使わなければならない。

その点,運動や知覚はほとんどの動物が備えていて,かつ具体的な現象なので,観察や実験を比較的行いやすい。だからこれまで率先して調べられてきたのだと思う。こう書くと誤解されそうなので,運動や知覚の研究は間違いなく魅力的なテーマであると付け加えておく。

「Part V  運動」の中の第 35 章は,視線の制御をテーマとしている。1 章を使って,目を動かす仕組みを記述しているわけだ。我々の目は,対象を追いかけることができる。相手が動いていても,さも当たり前のように視野の中心に捉え続ける。つまり無意識に対象物をロックオンする技術を使っていて,さらには,自分の体や頭を動かしながらでもある程度追跡することが可能だ。少し考えれば,相当に複雑な制御が必要なはずで,実際に,眼球を精密に動かす仕組みについてはかなり昔から研究が進んでいる古典的なテーマだ。

前回,ブレイン・マシン・インターフェースについて書いた。神経科学の中でもとりわけキャッチーなテーマだと思う。言葉を頭の中で思い浮かべただけでその言葉を機械が読み取ってディスプレイに表示してくれる,といったブレイン・マシン・インターフェースの話題は,衝撃的な上に分かりやすい。生物学で肩を並べられるテーマは,想像を超えて変わった形をしている深海生物くらいのものではないかと思う。しかし,ブレイン・マシン・インターフェースに割り当てられたのは22ページで,これはちょうど視線の制御と同じ量だ。分量が多いから偉いというわけではないが,これまでにどのくらいの研究がなされたかの指標にはなるだろう。

もう少しこの教科書の構成を概観してみよう。まず,Part I は概論。これはまあいいだろう。全体を俯瞰しつつ,この教科書を読むための前提知識を提供している。学生からベテランの研究者まで,幅広い読者を想定している教科書として必要な手当だと思う。

次の Part II は,神経細胞などの,脳や神経に存在する細胞について説明している。機械でいえば各パーツの詳細についてといったところだろう。概論の後に,生物を構成する最小単位である細胞の説明をするところから教科書が始まる。部品の仕組みや形がわからなければ,それらを組み合わせて作られる機械や装置の仕組みをきちんと説明できない。目的やコンセプト,例えば,掃除機はホースの先から物を吸い込むことによって部屋をきれいにする機械です,といった程度なら説明できるが,仕組みを説明するためには,モーターやらパーツやらに対する知識や理解が必要なのと大体同じだと考えてほしい。もっとも細胞はどれも基本となる材料や作り方は似ていて,そのバリエーションで色々な体の部分を作り上げている。レゴブロックのようなものを想像してもらう方が分かりやすいかもしれない。

続く Part III はシナプス伝達。細胞の説明をしたので次は細胞同士のつながり方を解説している。特に神経細胞は,互いに接続して作られるネットワークこそが機能そのものなので,この PART は神経科学の肝となるところだ。神経細胞同士は細い管のようなものを細胞から伸ばして繋がっていて,その接続部分(シナプス)で情報を交換している。もうそれはそれは,長年ゴリゴリに研究されている。

ここまでが細胞単位の話。ようやく次の Part IV から,脳・神経系が持つ機能についての説明に入る。もし仮にレゴの解説書があったとして,1600 ページの中,前提情報とレゴブロックの説明で 400 ページ近く費やしていることになるわけだ。長いと思うか短いと思うかは人によると思う。世の中には神経細胞やシナプスだけをテーマにした教科書もあるし,総説や論文はもっとずっと扱う範囲が狭い。

さて,一般的に興味を持ってもらいやすく,社会や人文科学との接続を持ちやすいのは「Part VI  情動,動機づけ,ホメオスタシスの生物学」あたりからだろうか。Part VI はこれもものすごく乱暴にいえば,感情と欲望についての話だ。辺縁系だの,扁桃体だのといった,専門的な神経科学用語の中では聞き馴染みのある方も多いワードが出てくる。

次の「Part VII 神経発生と行動の発現」は,ちょっとまたテイストを異にする。お腹の中で胎児の脳がどうやってできるのか,といった話をしている。レゴブロックの組み立て方を解説している,と言えるのだろうが,そうするとレゴブロックの解説書としてはここが本体だと思われてしまうかもしれないので一つ言い訳をしておく。神経科学にかぎらず生物学は,組み立て方よりも,出来上がったレゴの作品の解説をする方が分野としては広い。ちなみに,受精卵から体がどうやってできるのかを調べる学問領域は「発生学」と呼ばれていて,神経発生はそのサブジャンルの一つだ。発生学は最も人気のある生物研究の分野の一つで,たった1個の細胞から,繊細で緻密でダイナミックな過程を経て体ができる様子はかなりインパクトがある。人気なのも頷ける。その分,競争も熾烈だが。

さて,いよいよ「Part VIII 学習,記憶,言語,認知」である。どうやって物を覚えるのか,や,どうやって人間の脳は言葉を操っているのか。はたまた,見たもの聞いたものから物を判別したり意味を推測したりといった高次機能,さらには意思とは何かといった今後おそらく神経科学の中心的なテーマになり,社会に大きな影響を与えるであろうテーマがここにまとめられている。全部で 130 ページほどの分量で,「第 56 章  意思決定と意識」というめちゃくちゃ面白そうなタイトルはしかし,25 ページしかない。いや,この 25 ページだけでもめちゃくちゃに面白いので,それはそれで全然構わない。

ここで大切なのは,1600 ページの本文を費やして描かれる,神経科学が積み重ねてきた地層と脳の果たす役割の多彩さだ。意思や意識,「自分が自分としてここに存在する」という主観的な感覚は,一体,脳のどこから生み出されているのか,私もすごく興味がある,神経科学はそういったテーマに取り組む準備ができたのではないか,というようなことを初回の note に書いた。しかし一方で,教科書に占めるスペースはまだほんの少しでしかない。この感覚は,「人類が登場したのは地球の歴史の中で考えればごく最近に過ぎない」と知ったときに似ている。

自分が主役だと思っていたものの以前にずっとずっと長い積み重ねがあると知ったときの,なんとも言えない途方にくれる感覚と,これからどうなっていくのだろうという興奮とが同時に湧き起こる。

2022.11.14  牧野 曜(twitter: @yoh0702)