適切なコメント・意見とならない原因は、“読めない”ことに起因するのだろう。
「クリティカル・リーディング」ができる人とできない人の一番大きな違いは、読んでいるときに、自分の意見・考え・枠組みだけで書かれてることを解釈・理解しようとしているかしていないかかな、と。つまり、「クリティカル・リーディング」ができる人は、書かれていることと自分との位置を確認できて読んでいる。
「いやそういうことは書かれてないんだけど」
という解釈や意見を発してくる人というのは、結局のところ、目の前の文章を、それを中心にして適切に読んではおらず、自分中心で読んでいる。
なので、クリティカルに読み、整理された結果としての意見ではなく、「俺は・私はこう思う」という意見にしかならないのだろうな、と。
たまに、「それは文章そのものがわかるように書いてないから悪いのだ」と言ってくるような人もいるが、実際のところは、文章を“読む”力の問題だろう。
社会人大学院で教えていても、どうしても「自分はこう考える」という意見が、自分の経験によるものからしか出てこない社会人大学院生が少なくない。
それを見ていても、やはり、クリティカル・リーディングやパラグラフ・ライティングを身につけるというのは、非常に重要な基礎的スキルに思う。
「私は論理的に考えるのが苦手なんです。だから本を読むのも苦手」
と言ってる人たちは、本当は「論理的に考えたり読んだりするのが苦手」なのではなく、「クリティカル」や「パラグラフ」を適切に捉えるトレーニングを受けてないから“読めない”のだ。
なので、相手の意見とはズレたコメントを返してくるのも、そうした“読み方”に起因する部分もあると思われる。
念のために書いておきますが、「クリティカル・リーディング」と「クリティカル・シンキング」は別物です。
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