「人間理解」と「人間“として”理解」は違うかもしれない〜マーケティングに必要な思考・態度
富永さんと鹿毛さん、御二方の話の“中味”を真っ向から否定するわけではない。
ただ、“人間の理解”を進めていくという話をマーケティングの文脈ですると、マーケティングは死んだほうがいいって気持ちになるかもしれないとも思ってしまうわけだ。
私的には、
「人間理解」という言葉をもってマーケティングを語るのは、心理学的な部分で人間の認知的なエラーを誘って買わせるほうに行きそうな気がする(実際、消費者行動論にはそのような方向の研究もある)
一方で、
「消費者を人間“として”理解する」「顧客を人間“として”理解する」というふうに言葉を構成するのであれば、それはむしろ、今、マーケティングに必要な思考に思うのだ。
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