見出し画像

ぐるんとびーのラーメン案件に関する考察。

ぐるんとびーウォッチャー歴も早5年?もっと?
開設直後から、つかず離れず?!でぐるんとびーの追っかけをしている身としては、どうやら「炎上」しているらしい、ラーメン案件について、思うところを書くべきか書かざるべきかと思いあぐねて、やっぱり書く(笑)

ぐるんとびーウォッチャーとしては、いまさら退院して間もない高齢の男性が夜中にラーメンをすする動画に驚くこともなく、「じいちゃん、ラーメン美味しそうだな。自分の食べたいものが食べられてよかった、よかった」と、ほっこり。つられて夜中にラーメンが食べたくなるくらいで、さらっと流してしまっており、「炎上」という言葉がピンと来なかったというのが正直なところ。

BuzzFeedNewsの記事を読めば、現場が当人の様子を見ながら食の段階を徐々に上げて、ラーメンにたどり着いたこともわかるわけで、医療的立場からの「正論」も重々理解できる一方、素朴な疑問として、そもそも徹底したリスク管理が求められる病院ではなくて、「暮らしの場」である在宅でのお話なんだよなぁと思う。

ぐるんとびーは、小規模多機能居宅介護から始まり、訪問看護ステーションや看護小規模多機能型居宅介護、居宅介護支援事業所、御用聞きなどを展開しているのだけれども、要は「在宅」部分を担っている。ぐるんとびーを利用されている方々は、「病院」ではなく、「家での暮らし」を選択した人たちなのだ。

一つ屋根の下で暮らす、もう人生も終わりの時間に近づいているだろう年老いた父親が、食が細くなってなかなか食べようとしない父親が、夜中にラーメンを食べたいと言ったら?

仮に自宅だったとしても、やっぱり「誤嚥したら大変だからダメだよ」と、食べさせない?

これがぐるんとびーのような介護事業所ではなく、「自宅」でのお話だったら、炎上はしなかったのだろうか?


誤嚥して真夜中に救急車のお世話になることになったら確かに怖い。

だったら、看護師や理学療法士ら専門職が嚥下機能を見ながら、主治医とも相談しながら、日々の生活を見ながら、「よし、いける!」と判断した上で、いざという時は医療と連携できる場で、本人の「いま」食べたい気持ちを封じ込めずに、食べてもらうほうが安心じゃないかなぁ?しあわせな時間が増えるんじゃないかなぁ?なんて、思ってしまったのも、やはり不謹慎と言われるだろうか。

「暮らし」を支えるための場だから安全を軽視していいなんて、ぐるんとびーのスタッフたちは誰一人思っていない。
どんなケアをしたら、目の前にいる人はもっと輝けるだろう?よりよい人生を送れるだろうと、日々、「Always Why?」で、迷いながら、話し合いながら、最適解を探し求めて、「暮らし」を共にする。全力で、目の前にいる人の最期の時の伴奏者になろうとする。

その結果の「夜中のラーメン」だし、その人の思いを汲んでいるうちに、本人自身が「夜中のラーメン」を求めなくなっていく。つまり、「いま」を汲み取ることで、その人の「課題」とされてきた諸々までもが落ち着いていき、日々の充実度高く過ごせるようになるということは、私がぐるんとびーでよく目にしてきた光景だ。

暮らしの場での、「あーうめっ」。
ここから、一方通行の「正論」よりも、「対話」が始まることを期待したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?